21.2.28 設楽、東栄




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田峯城(再訪)


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駐車場に城址看板あるが、縄張り図が汚くよく見えないのが残念


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空堀に架かる橋が感じ良い


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空堀は深くて幅も広く中々凄い


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丸太の柵と木の橋の見栄えがとても良い


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表曲輪は茶畑 田峯嬢城は、本丸の西側に段々の郭があり、それぞれに案内標柱が立っているので、とても分かり易い


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名がなかったので無名曲輪と名付けられたとある 上の御台曲輪の壁の高さが凄い 


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上段の井戸曲輪への上り階段


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井戸曲輪から下の表曲輪を見る


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井戸曲輪から、表曲輪の東に延びる裏曲輪の眺め ここも段壁の高さが素晴らしい


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井戸曲輪の上段の蔵曲輪 蔵とあるので、食料や武器の貯蔵蔵があったと思われる


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蔵曲輪から駐車場の方向を見る 


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畦曲輪から本丸の切岸を見る


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蔵屋敷の北に道寿曲輪 ここは家臣の城所道寿の屋敷跡 因みに城所道寿は、5代目城主・定忠と共に長篠合戦に出陣している


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畦曲輪
から本丸へ上がる階段


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本丸への入城は有料で220円


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駐車場から続く北西からの登城道は搦手道で、搦手門を通って本丸へ入ることになる


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本丸御殿は、良く聞く書院造りと案内あるが、書院造や寝殿造りがどういうものか知らない


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厩の建物 人と馬が一つの建屋に入っていたようだ


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立派な石の城址碑がある


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厩内の展示 全然大した展示は無いが、この地方は歌舞伎や狂言と言ったものが盛んなようだ


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搦手門は本丸の北西側、南東側に大手門があるが、大手道の登城道は、今は無いようだ 大手門は閉ざされている


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往時もあったかどうか知らないが、本丸御殿の隣に物見櫓が建っている


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本丸の下段にある御台屋敷 姫様の豪華な屋敷があったのを想像する


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田峯城は、1470年菅沼定信が築城 菅沼氏は清和源氏で三河国額田郡菅沼郷が発祥 長篠・野田・島田菅沼氏の宗家として田峯菅沼氏と呼ばれた 1575年長篠合戦で菅沼定忠は武田方として参陣するが大敗する


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物見櫓の狭い急階段 足を踏み外さないよう慎重に上がる


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奥三河の山々 鳳来寺山、宇連山、鞍掛山、等の案内が貼ってあるが、どれがどれだか全然分からない


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上から本丸御殿と表門を眺める


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上段の間で殿様気分を味わえる


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古そうな鎧兜だが、往時の物なんでしょうか?


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炎の宴・林穣氏の案内があるが、全然理解出来ない 


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設楽城(再訪)


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鎌倉初期頃に土着し設楽氏の居城 戦国時代には城はなくなっていた、と書かれている


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設楽城は県指定史跡 遺構も良く残っているようだ


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駐車場から延びる登城道 遊歩道@の案内に1500mとあるが、これは遊歩道の全長と思われる 駐車場から本丸までは100程の距離


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大きな堀切 二の丸と本丸の間の堀切と思ったが、実際は二の丸と手前の曲輪の間の堀切


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深い堀切が素晴らしい 左側が二の丸


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堀切の奥は竪堀が谷へ落ちている


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手前の曲輪から堀切越しに二の丸を見る


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設楽城の一番の見所は、この深い堀切と思う


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設楽城は南北の細長い尾根上に築かれている


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ちょっと尾根の南側へ歩くと、竪堀の案内あるが、ここは大した竪堀でない


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更に南へ行くと、虎口?の案内 ?付が面白いが、尾根に上がる登城道がこの辺りにあったようだ


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案内ないが、両側が竪堀の土橋のように見える


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二の丸へ入る虎口 高い土塁が見応えある


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二の丸側から堀切を覗く 高さが何とも良い


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二の丸の南側を囲む土塁


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二の丸から本丸の眺め


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二の丸の看板の横の大きな石碑は城址碑でない 何か文字が刻まれているが全然読めず


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二の丸と本丸の間の竪堀


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二の丸の土塁が中々素晴らしい


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設楽城址の説明看板 箇条書きになっているが、分かり難くて頭に残らない


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本丸の削平地


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本丸の東側の土塁 土塁の上の石碑が城址碑なのを後で気付く


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大黒杉の名の大杉 大黒様の頭巾に似ていると案内あるが、似ているんでしょうか?


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本丸の北は、大千瀬川へ落ちる断崖絶壁だが、草木に覆われて断崖絶壁を感じれない


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本丸の看板と写真を撮って、設楽城巡りを終わりにするが、ネットを確認したら城址碑があるのが分かる


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本丸の土塁の上、お地蔵さんの横の石碑が城址碑だった


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亀ヶ城


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遺構は殆ど残っていないとありながら、いっぱい遺構の事が書かれている


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長峯神社の裏山が城跡 神社駐車場から登城道が出ている


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登城道は結構しっかりしている 城址への案内板もあちこちにあり、迷う心配は全然ない


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主郭の手前の堀切


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城址説明看板に、大手門の跡の石積みが書かれていたが、この石垣の事なんでしょう


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主郭の下の曲輪から主郭を見上げる 中々高い切岸となっている


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主郭下の広い曲輪 曲輪を分断するように、土塁と空堀がある


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主郭下を取り巻く帯曲輪


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主郭への虎口


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主郭に祠と城址碑がある


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亀ヶ城は、康生年間(1455〜1457年)に土豪伊藤小右京が築き、後に伊藤丹波が居城


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主郭から下段の帯曲輪を見る


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津具城


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県道から城址への入口に、城址P200mの標柱がある しかし林道は非常な悪路で、県道沿いに車を置いて歩くべき


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林道は石ゴロゴロの悪路 尖った石でパンクのリスクは非常に高いと思われる


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林道から城址への入口に、本曲輪300mの標柱あり


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登城道は歩き易いく、あちこちに標柱があるので、迷う心配もない 数年前に登城した人のネットには直登したとあるので、登城道や標柱はつい最近整備されたと思われる


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登城道は南から東へ回り込むようにある 城郭の東側に大きな竪堀り、と思ったが、人が掘ったには大き過ぎる これは天然の地形と思い直す


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竪堀、大手口、本曲輪4、の案内の方へ進む


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竪堀の標柱 山の上から大きな竪堀が落ちている


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更に竪堀は標柱の立つ下の谷へと落ちていく 中々壮大なスケール


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更に進むと大手口に出る ここは城郭の北側になる


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大手口の所に井戸跡のような窪みがあるが、案内ないので井戸跡ではないかも


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西帯曲輪 西の大手口と東の北二の曲輪を防御する曲輪で初期の馬出し構造、と書かれている


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腰曲輪 北と南を竪堀で守られ西帯曲輪と北二の曲輪を防御するために築かれた曲輪


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北帯曲輪 北と南に竪堀が築かれ北二の曲輪を切岸で防御している


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上が北二の曲輪で、壁は高い切岸になっている


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北帯曲輪の所にある竪堀


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北帯曲輪から東曲輪へ入る堀切


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北帯曲輪から本丸へ上がるのが順路となっているが、東へと進んで順路と逆に歩いているのに気付く


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津具城は全然期待していなく、登城も直登で挫折するだろうと思っていたが、何とも素晴らしい城址で大感動


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標柱があちこちに立ちとても有り難いが、縄張り図が分からないので、今一全体の城郭を把握出来ない


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順路とは逆の、北から東へ入って来ているのは確かだ


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北二の曲輪への東側からの入り口


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本曲輪と北二の曲輪の間の堀切


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北二の曲輪 本曲輪の北西に築かれた四角形の曲輪で井戸跡が残る 東側に土塁と虎口、西側に切岸と虎口、南側に竪堀と本曲輪に通じる虎口がある、と書かれている


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北二の曲輪の東側の土塁


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北二の曲輪の西側の虎口 最初に見た西帯曲輪からこの虎口に通って北二の曲輪へ入るのが、順路になっているようだ


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北二の曲輪から本曲輪への虎口 しかし書かれていた北二の曲輪の井戸跡は、それらしき物を見つけれない


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北二の曲輪の東下を歩いて来たが、空堀が取り巻いているのが良く分かる 


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北二の曲輪から本曲輪へ入る虎口


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本曲輪から下の北二の曲輪を見る


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本曲輪の南下に南二の曲輪が見える


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本曲輪には案内が何も無い 


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後藤善心という武将の築いた城 後藤善心は武田氏に仕えていた武将で、津具城の東の白鳥山城を居城としていたが、1562年今川氏真に攻められ落城 そこで善心が難攻不落の城を目指して築城したのがこの津具城


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南二の曲輪


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南二の曲輪から本曲輪を見る 高い切岸が感じ良い


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津具城址の駐車場 車数台程止めれるが、最初に書いたがここまで入ってこない方が賢明


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津具白鳥神社に後藤善心之塔があるので立ち寄る


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後藤善心は武田方の武将 信玄が三河侵攻を始めると、松平方の奥平に攻められ、1569年戦死している


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後藤善心は、津具城を築く前は、ここ白鳥山城を居城としていた