21.3.10 設楽、豊田稲武・旭




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寺脇城


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寺脇城址への入口 カーブミラーがある所に、城址入口の標柱が立っている


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入口を入ると直ぐに大手門の標柱 鹿除けのフェンスを開けて入る


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直ぐに枡形の標柱あり ここも先回津具城址で見た標柱が、あちこちに立っていてとても助かる


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大手門を防御する四角形の曲輪、と書かれているが何処が四角形か良く分からず


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枡形の曲輪の上の堀切


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堀切の先は、圧巻の大空堀が延びている


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敵の侵入を左右から攻撃出来る独特の構造、と案内ある


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掘底に入った敵を、右の切岸の曲輪と左の土塁の両方から、攻撃出来るのが良く分かる


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大空堀の南は高い土塁と思ったが、南帯曲輪となっていた 城外からの敵と大堀切の敵を攻撃する構えになっている、の説明あり


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大空堀から本曲輪への登城道 北東へ延びている


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東三の曲輪 広いスペースがあり、居住空間のようだ


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東三の曲輪から本曲輪を見る 上の本曲輪の下段は東二の曲輪


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東三から東二の曲輪、および東腰曲輪へ通じる搦手道の虎口


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虎口の標柱の上は東二の曲輪、その上の本曲輪へ上がる搦手道


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東二の曲輪の上が本曲輪 本曲輪の切岸が中々見応えあり


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搦手から本曲輪へ上がらず、東二の曲輪を西へ行くと南二の曲輪


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南二の曲輪から本曲輪を見る こちらも本曲輪の切岸が凄い


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南二の曲輪から本曲輪へ入るのが大手道


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大手口の土塁


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本曲輪に城址の説明看板と城址の標柱が立つ


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本曲輪の南西に南の曲輪、南東に東の曲輪が段階状に造られている


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永正年間から始まる名倉奥平氏は、作手奥平貞次を祖とし寺脇城はその本拠地 二代目の奥平喜八郎信光は徳川家康の配下として津具方面で武田勝頼と戦い、 関ヶ原の戦いの後、家康の四男松平忠吉に従って清洲城に移る


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本曲輪の周りの土塁は高くて見事


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本曲輪から下の大空堀を見る


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土塁上を歩くことが出来る


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大土塁の標柱 外側の空堀から5mの高さとある ”大”が付くのも納得出来る


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見栄えも十分な大土塁


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大土塁上から本曲輪を見る


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大手口は南側、搦手口は北東側 搦手口を下りるが、結構な急斜面でちょっと危険あり


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搦手口を下りると東腰曲輪 本曲輪の切岸は何処から見ても凄い


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東腰曲輪の下の空堀


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東腰曲輪の北側の堀切


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寺脇城の北に浜(はまん)城があるようだが、1600mも距離があり行くのはパス


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津島神社 ここに名倉奥平氏の墓があり、寺脇城の周りを探すが見つけれず諦めるが、奥平館の直ぐ近くにあった


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名倉奥平氏の本城は寺脇城だが、この辺りに蔵屋敷を構えて住んでいたようだ


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名倉奥平氏の墓 小さな墓石が幾つか並んでいる


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奥平館


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前の写真の民家が館跡と思ったが、戸田喜八郎信光之碑が無いので違った


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辺りを歩き回り、戸田喜八郎信光之碑をやっと見つける


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碑は急斜面の小丘の上にある 何で奥平喜八郎信光でなくて戸田になっているんだろう?


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最初見た民家の奥のこの民家が奥平館跡


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民家の奥に勝手に入るが、山に向かって空堀が確認できる


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急にデジカメが作動しなくなる 以降スマホで撮影するが、上手く撮れるかとても心配


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清水城


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清水城址へ着く前に、城主墓の標識を見つけ、先に墓を見る


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小さな墓石が並んでいるが、城主名は刻まれていない


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清水城址の入口 付近の道路にも標柱があちこちにあり、すぐに見つけることが出来た


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標柱に従って、二の曲輪・本曲輪の方へ上がると、竪堀の標柱があるが、そんな大した竪堀でない


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二の曲輪の下の帯曲輪 本曲輪と二の曲輪と登城の通路を守るために築かれた、と書かれている


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二の曲輪・本曲輪へ上がる通路


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通路を上がる前に、左方向に竪堀の案内があり先に見る


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山の斜面を分断して谷へ落ちる竪堀


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二の丸の切岸 中々高さがあり良い


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戻って二の曲輪・本丸へ上がる


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上がった所は二の曲輪 本丸との間は土塁で仕切られている


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二の曲輪から本丸への入口


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本丸にある看板 縄張り図があるのは有り難いが、縄張り図は入口に欲しい


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広い本丸の削平地 清水城は、南北朝時代に足助氏の代官である菜倉左近蔵人の居城 二代目に世継ぎがなく新田氏から養子を迎え一時新田を称した、と看板に書かれている


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本曲輪の南側が大手口、北側が搦手口


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搦手口の下は大きな竪堀があり、本曲輪の北を防御している


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本曲輪の東下の帯曲輪 本曲輪の切岸が中々良い


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本曲輪の南下にある稲荷神社 大手入り口を真っすぐ上るとここに出る


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鳥居は立派だが社殿は小さい 本曲輪を見上げると標柱があり、神社横から本曲輪へ上がる


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最初分からなかったが、本曲輪の南の隅に、清水城址の碑が立っている


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昼食は、道の駅・どんぐりの里いなぶで、豪華に行こうと思ったが


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この道の駅の食堂は小さく大したものが無い 630円のごへいもちセット、と質素になってしまう


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武節城(再訪)


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道の駅の東の小山が武節城址で、道の駅からも見える 本丸まで車で行けるが、道の駅に車を置いて歩く


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道の駅から10分も歩かずに三の丸に


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三の丸の上の二の丸 二の丸の上が本丸で、城郭は三段の曲輪から成っている


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二の丸の広場 二の丸の標識が傾いている


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二の丸から下の三の丸を見る


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二の丸から上の本丸を見る


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二の丸から本丸への虎口? 往時からあったものか否かは不明


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本丸の北側は絶壁


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広い本丸に、城址碑の他に幾つかの石碑がある 車でこの本丸まで入れる


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永正年間に田峯の菅沼定信が田峯城の支城として築城 信玄の三河侵攻で武田方に降っている 家康の長男・信康が初陣で武節城を攻撃している


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本丸の上にある城山神社の所は、物見台・のろし台跡と説明あり


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武田勝頼ゆかりの地と案内あるが、これは長篠の戦いで大敗した武田勝頼が、敗走途中に武節城で一泊したことからきているようだ


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石碑に何か刻まれているが全然読めず この石碑群は何なんだろう?


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城山神社への上がり


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物見大・狼煙台から本丸を見る


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本丸の北端から遊歩道があり進むと、蔵屋敷跡があり


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本曲輪の北側、蔵屋敷と外曲輪との間に大きな空堀があり


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大きくて見事な堀切もある 遊歩道を通って帰るのが大正解であった


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遊歩道は、道の駅の対面・国153号を渡った所に出る この遊歩道が登城道であるのを知る


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姫井戸に立寄る


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556年下条信氏の攻撃で武節城が落城した際、敵の手にかかることを拒んだ姫が身を投げた井戸


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今は底は浅く、身を投げるような井戸ではない


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槙本城(再訪)


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民家の庭の前の側溝を通り抜けると、城址への入口


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民家を通り抜けて直ぐ、右へ入る草道が登城道 標識等案内は無い


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登城道を少し進むと三叉路で、左側は大きな堀切が見えるが、主郭は右側を行く


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凄い堀切の上に社殿が見え、ここが主郭と勘違いする


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案内ないし縄張りも分からない 眺めは良いが主郭と違うのに気付く


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大堀切の西側の郭にある社殿


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大堀切の東側の郭 見事な土塁があるが、郭の大部分は削られている感じ


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三叉路に戻って右側へ行く


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右へ行くのが正解で、主郭にある神明神社の社殿が見える


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主郭下の曲輪 主郭にある神明神社への階段がある


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神明神社の前に城址の看板と石碑があるが、この石碑は何なんだろう? 城址名が刻まれていないので、城址碑ではなさそう


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主郭に建つ神明神社だが、何か神社ぽく無い


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主郭の東側 城郭が分からないので何とも歯がゆいが、大きな堀切


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空堀? 遺構は多く残る槙本城だが、案内が全然ないのが残念


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主郭の東側に空堀や堀切が多くある感じ 設楽の城址のように縄張図と案内があれば、人気ある城址になると思うのだが