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茂松城
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県立御津高校正門近く、フェンスと電柱の間に山への入口があり、ここが登城口
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道は整備されているが、城址の案内は一切無い
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御津高校の校舎は小さな建屋に分割されていて、高校の校舎という感じがしない
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10分程歩くと大きな堀切に出る
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堀切から、ここを上がると主郭と思ったが違った
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更に進むと猪除けのフェンスがあるが、開閉出来て入ることが出来る
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どんどん進むが主郭らしき場所が見つからず
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二重の竪堀の様に見えるが、どうなんだろう?
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整備された階段がある この上は東三河ふるさと公園の山 茂松城跡は通り過ごしていた
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ここは最初見た堀切の上 ネットに、主郭に城址案内と碑があとると載っていたが、見付けることが出来なかった
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糟塚砦(再訪)
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糟塚砦は、1563年、家康の「牛久保、吉田城攻め」の際に築かれた砦 桶狭間で義元が討たれた後も、暫くはこの辺りは今川氏の勢力下だったようだ
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龍徳院が糟塚砦跡 龍徳院の本堂が新しくてキレイ
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本堂の裏に中々立派な土塁が残っている
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境内の一辺に長い土塁が延びていて、境内が砦跡だったのを感じさせる
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土塁の下に空堀も延びている
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龍徳院の外壁がキレイで立派
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地蔵群が土塁の上に築かれている
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牛久保城(再訪)
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牛久保城は、1529年牧野古白の子・成勝が築城 立派な城址碑があるが、遺構は残っていない
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牛久保城は、飯田線・牛久保駅の直ぐ近くにある 牛久保は山本勘助のふるさとになっていて、近くの長谷寺に勘助の墓がある
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長谷寺は、"はせでら"でなくて"ちょうこくじ"と読む
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勘助の生まれは豊橋の加茂 15歳の時、牛久保城主・牧野氏の家臣の養子になり、ここ牛久保で過ごしている
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勘助は1500年の生まれで、1561年の川中島の戦いで戦死している
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山本勘助と言えば武田信玄の軍師 川中島の戦いで、キツツキ戦法を提案し実行したが、はかなくも討たれてしまう
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一色城(再訪)
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大聖寺が一色城跡だが、大聖寺は城址よりも今川義元の廟所で有名なようだ
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牛久保に史跡巡りのコースがある
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今川義元は桶狭間で首を討たれたが、家臣が胴体を背負って大聖寺まで運んでいる
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1563年今川氏真は、義元の三回忌をこの寺で営んでいる
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一色城主・一色刑部少輔時家の墓が、義元の墓の隣にある
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一色城は、1439年足利氏の一族一色刑部少輔時家が築城 時家は、1477年家臣の波多野全慶の謀反で討たれている
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時家と義元の墓の周りに土塁が残っている
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瀬木城(再訪)
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瀬木城は、1493年牧野古白によって築かれた 牧野古白は、一色城主・時家を誅殺した波多野全慶を討ち取り一色城に移り、牧野城には長男牧野能成、瀬木城には次男牧野成勝を置いた
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神明社が瀬木城跡
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鳥居の両側は結構高い土塁があり、主郭の入口になっている
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神明社の本殿は、掘っ立て小屋のようで、とてもみすぼらしい
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境内の左側の藪の中に、結構大きな空堀が見えるが、藪が酷くてここからは堀に下りれない
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本殿の奥に土塁が残り、ここからは藪の中へ入り易い
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本殿の奥から堀へ下りれて、境内を取り巻く空堀を見ることが出来る
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本殿奥の藪の中にある土塁も中々良い
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神明社境内の外の車道から入って、空堀を見る 空堀の上の土塁の高さが中々凄い
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牧野城(再訪)
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牧野城は、四国の讃岐より来住した牧野成富が、応永年間に築いた城 成富の子が、何度も名を見た牧野古白
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キレイに土塁が残っているが、遺構はこの土塁のみ
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土塁の端から簡単に土塁の上へ上がれる
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土塁の端に立派な城址碑が立っている
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1505年古白は、今橋城(吉田城)を築いて居城を移した為、牧野城は廃城となっている
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車道から牧野城の眺め 土塁が高くてカッコ良い
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一宮砦(再訪)
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砥鹿神社の南方200m程の所に、城址看板と碑があり、ここから入った所が砦跡
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1564年今川氏真が三河へ侵攻して一宮砦を攻撃したとき、松平元康が少数の兵で、大軍を突破して砦に入ったことより、家康の武勇談”一宮の後詰”と呼ばれてる
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砦の入口は、結構高い土塁の堀切になっている
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砦跡は広い削平地の竹藪
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砦の奥の土塁
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砦の北は大きな堀切に見えるが、堀切なんでしょうか?
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砦入口の左側に、堀切の底を通る歩道あり
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堀切にしては高過ぎて、人手で掘ったとは思えない 自然の地形だったのかも知れない
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砥鹿神社に立寄り参拝
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凄く大きな神社で、マスクをした参拝者も大勢いる 結構格式も高い神社に思える
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神馬ならぬ神鹿がいる
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照山城
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加納寺と背後の森が城跡 加納寺は動物供養の寺で、勝手に入って車を止めると、住人の叔母さんの冷たい目線に合った 城跡を見に来たと言って、裏の森へ入る
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寺の奥にハッキリとした土塁がある
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森の中はあちこちにお地蔵さん 城郭はどうなっているのか全然つかめない
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北側にある堀切
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堀切の下は車道
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車道に回ってみると、朽ちた城址看板が転がっていた
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照山城は、牧野筑意が造った城と伝わるが築城時期は定かではない
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近くにある本願寺に、山本勘助両親の墓かあるので立ち寄る
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勘助の墓は、牛久保の長谷寺にあったが、ここ豊橋の加茂は勘助の誕生地
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中々豪華な本願寺の本堂 勘助の両親の墓を探すが、見つけることが出来なかった
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本願寺の南東方向の住宅地に、山本勘助生誕の碑がある
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住宅地の中の狭い道をくねくねと走り、何とか碑を見つけることが出来た
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豊橋には訪れていない城址が多数あるのが分かり、これから暫くは豊橋の城址巡りをしようと思う
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東名高速の赤塚PA 既にこの時期桜が満開になってる
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