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比丘尼城
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比丘尼城址は、世界の桜の園と言うテーマパーク内にある
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桜は日本固有の品種と思っていたが、日本以外に100品種もある
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さくらの名称は、古事記の中の美女・佐久夜がまなったもの
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世界の桜の園は、広範囲の散策コースがある 城址までは、東屋まで20分、東屋から城址まで10分、と案内ある
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世界の桜の園は、自由に散策出来るが、管理費用のお志が求められている
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整備された散策路で歩き易いが、傾斜は結構キツイ
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東屋までコースタイム通り20分で着く
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東屋からの眺望 下の山は北の方向で、宇利城址の山と思う
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さくらまつりののぼり旗があるが、さくらはもう殆どが終わっている
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中々良いね この辺りの桜の木は小さいので、最近整備されたと思われる
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比丘尼城址の山頂
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山頂に城址の碑が立つ 比丘尼城の築城時期や城主、歴史等詳細は不明
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城址の南側の横堀跡 城址の遺構はこの横堀ぐらいで、大したものは無い
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城址の奥の山肌を覆う桜が中々見事
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佐久城(再訪)
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縄張図の看板あるが、薄くて見ずらい 城址は、南郭、出丸、本郭から成っている
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"鵺" 何と読むのか分からなかったが、帰って調べると"ぬえ"と読み、平家物語に登場する妖怪で、猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇
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佐久城址は、猪鼻湖に突き出たリゾートタウンの住宅地にある
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南郭と馬出の間の堀切 深くて何とも凄い
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南郭の登り口 南郭は広い削平地で何も無い
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南郭から、堀切と馬出の入口を見る
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馬出と本郭の間の竪堀 この竪堀も深くて大きくて凄い
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馬出から、堀切と南郭を見る
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武田氏の城郭の特徴の丸馬出に見える 土塁も高くて凄い
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馬出から本郭へ入る土橋が、ハッキリそれと分かりとても良い
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右に落ちる竪堀
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左に落ちる竪堀
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本郭の方から見る土橋 本当に美しくて素晴らしい
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本郭の虎口 両側の土塁の高さが何とも凄い
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広々とした本郭
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本郭を取り巻く土塁
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本郭は、本丸御殿の様に城主の建屋だけと思っていたが、雑兵の長屋も本郭に建てられている
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案内ないが、ハッキリ井戸跡と分かる
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佐久城は1348年浜名清政の築城 浜名氏は鵺退治した源頼政の末裔
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浜名氏は今川氏に属しており、今川義元が桶狭間に倒れると、徳川家康の遠江侵攻に抵抗するが敗れ、一族は滅亡している
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搦手は裏門と認識しているが、敵を搦めとる攻撃の意味がある、とは知らなんだ
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搦手跡の案内あるが、道は残っていないようだ
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本郭から猪鼻湖が見えるが、草木が邪魔
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本郭に大きな桜の木があるが、もう花は殆ど散っている
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本郭の虎口の所から、高い土塁によじ登り、馬出との間の竪堀を上から見る より高さを感じ迫力一杯
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土塁上から本郭を見る
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土塁上から土橋を見る
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リゾートタウンを通り抜けると猪鼻湖の湖岸に出る
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宇津山城(再訪)
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正太寺の背後の山が宇津山城址
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正太寺の本堂 お寺の本堂のイメージに全然合わない
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正太寺の境内に、宇津山城主と刻まれた碑があるが、何の碑なんだろう?
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正太寺から、山頂の城址(墓地)へ上がる道があるが、車でも山頂へ行ける 既に藤棚に藤が咲いているのに驚き
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登城道には、番号が付いた仏さまがいっぱい
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正太寺へ落ちる大きな竪堀?
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山頂へは車で上がる
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宇津山城は東と西に城址がある 東は、1524年に三河境の押さえとして今川氏親が築城 西は、桶狭間の戦い後、家康の遠江侵攻を防ぐために造られた
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@が東の城址で、Aが西の城址 車で上がった山頂は、Aの西の城址
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T郭とU郭の間の土塁は、ハッキリ残っていて中々カッコ良い
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U郭の平地から奥のT郭を見る 車で上がるとT郭に駐車出来る
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T郭から宇津山城跡の散策コースがある 散策コースは西の城址のみで、東の城址へは行けない
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散策コースを進むと、石垣の残る曲輪に出る
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宇津山城跡の看板があるので、ここが主郭と思われる 縄張図にあるV郭の位置だと思う
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主郭周りを石垣が囲んでいる
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主郭の虎口
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主郭の奥へ道があるが、かなりの草木で覆われている そろそろ整備されていない山城は、入るのはキツク大変になる
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草木を描き分けて進むと、土塁や曲輪があるが、どうなっているのか良く分からず
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正太寺へ降りて、東の城址へ行こうとするが、入り口が分からず 車道は無くなり、正太寺鼻までは歩いても行けない
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五本松城
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石野中山町公民館の南100mほどの所に、五本松城の碑がある
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五本松城は、1561年西郷弾正左衛門正勝が築城 正勝は、二代将軍・秀忠の生母・愛の方の外祖父になる
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ここに城主の居館があり、奥の山に詰城がある 詰城には土塁や堀が残っているようだが、登城はパス
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近くにある菩提寺に、城主の墓所があるので立ち寄るが、どこにあるか見つけれず
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萩平山城
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ここから入った所に登城口があるのを見つける
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ここから山へ入る
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山頂にある秋葉神社が城跡になるが、登城道はあるのにフェンスで通行禁止になっている
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五本松城が三河西郷氏の本城で、萩平山城はその支城 ネットには結構な遺構が載っているのに残念 何で通行禁止になったんだろう?
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西郷小学校の門の所にこの看板あり
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西郷氏の事が色々書かれている
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西川城
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本郷公民館の奥のカタクリ山が城跡 公民館の裏に登城口がある
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何とカタクリ山は私有地で入山お断り 誰も見ていないのを確認し入山する
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"こらーぁ、勝手に入るんじゃない" の声が聞こえそうで恐る恐る進む
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西川城は、西と東に郭があるようで、こちらは西の郭で結構大きな土塁がある
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東側の広い平地の郭 案内は無いが、こちらが主郭と思われる
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主郭の東側の土塁
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東の郭・主郭の虎口
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広々とした平地に緑草が一面にある ひっとしてこれがカタクリかと思うが、どうなんだろう?
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土塁がしっかり残っている
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土塁に沿って空堀も確認できる
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西の郭の土塁と空堀
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L字の土塁 カタクリ?の草に覆われているのが良い
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入山禁止の看板に、カタクリの花終了後禁止となっていたのを思い出す カタクリの花シーズンは解放されている様だ
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しっかりした堀切もある
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西の郭の土塁下の空堀
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西の郭から突き出た曲輪跡 見張り台があった跡のように思える
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入山禁止を知りながら勝手に入って、ビクビクしながらの西川城巡りになりました
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