21.5.23 豊明、名古屋緑区




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沓掛城(再訪)


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今日は、桶狭間の戦いの舞台となった城址と、史跡を巡る


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1325年近藤宗光が初代城主 9代景春の時、鳴海城主山口左馬助義継に攻められ、今川方の城となる


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沓掛城は、城址公園として整備されていて、大きな駐車場もある


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駐車場から橋を渡って本丸へ入るが、本丸周りは大きな堀で囲まれている 今は空堀だが、堀の恰好から往時は水堀でなかったかと想像する


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本丸と西にある諏訪曲輪との間の堀


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キレイに草が刈られている本丸の広場 ポツンと井戸跡がある


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本丸から諏訪曲輪への入り口


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本丸の西側、お寺の立派な石垣塀との間に、堀が延びている


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諏訪曲輪の平地 諏訪と言う名に何か意味があるのか? 案内は何もなく分からず


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諏訪曲輪から本丸の眺め


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本丸と南にある二の丸の間の土橋


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土橋の所に城址碑と説明看板がある 看板には市の指定史跡とあるが、現在は県指定史跡になっている


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今川義元は、桶狭間の戦いの前日に沓掛城に入城している


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土橋と堀 中々の見栄えで感じが良い


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案内看板に、堀はしょうぶ・かきつばたの堀とある もう直ぐ美しいしょうぶが、見られるかも知れない


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城址のすぐ西側にある、立派な石垣塀のお寺は慈光寺


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沓掛城と何か関係あるお寺ではと思い立寄るが、何も案内が無くて分からず


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広い草むらの本丸 中々キレイで気持ちが良い


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丸根砦(再訪)


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丸根砦は、1559年、信長が今川義元の上洛に備えて、鷲巣砦などと共に築いた砦の一つ


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丸根砦は、今川方の大高城の備えで、西方800m程にある大高城を見渡せる


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周りは市街地で駐車場が無い 近くの山神社の敷地に勝手に車を止めて、住宅地の間から入城するが、こちらは南側は裏口のようだ


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丸太の階段を上がると直ぐ本丸跡 本丸の周りは堀か曲輪が取り巻いている感じ


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丸根砦戦殉難烈士之碑 桶狭間の戦いの際、佐久間盛重が布陣するが、大高城へ兵糧入れを命ぜられた、松平元康の攻撃を受け全滅


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北側からの登り口 こちらが表の入口と思われる


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北の入口の所には、空堀がハッキリ残っている 後で気付くが、丸根砦址碑がある筈だが、見漏らしてた


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北の入口にある看板 丸根砦、鷲津砦、大高城、3つ合わせて国指定史跡となっている


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北の入口の所には、民家の裏との間にスペースがあり、車を止めれそう ひょっとしたら民家の敷地かも知れないが


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鷲津砦(再訪)


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鷲津砦も市街地にあり駐車に難儀する 森の東奥にある墓地の駐車場に止めるが、長寿寺の駐車場に止めると、鷲津砦公園は直ぐ近くだった


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桶狭間の戦いの際には、飯尾定宗が立てこもるが、今川方の朝比奈泰能の攻撃で全滅している


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鷲津砦と丸根砦は、大高城を頂点とする二等辺三角形の底辺の両端に位置する


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公園入口から鷲津砦跡の森へ入る


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鷲津砦は、ちょっと城郭ぽくて、ハッキリした堀切を確認出来た


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鷲津砦跡の平地


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デカい表忠碑があるが、陸軍大将何々とあるので、往時とは全然関係ない


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表忠碑のすぐ横に、鷲津砦址の碑がある


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桶狭間の戦いの史跡に、この信長攻略の案内がある 2次元コードをスマホで読ませたら、信長の攻略が理解できるかも?


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大高城(再訪)


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住宅地の中の非常に狭い道を通って、大高城址入口に着く 入口にちょっとしたスペースがあり車を止めれるが、軽じゃないと無理


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大高城は織田方だったが、1559年今川方の鳴海城主・山口左馬之助に攻め落され、今川の家臣鵜殿長照らが配された 信長はこれに対処する為、鷲津砦・丸根砦を築いている


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入口を上がると広い平地の曲輪 一面草に覆われているが、まだ背丈は低いので何とか歩けるが、この時期蛇がいそうで、結構草むらを歩くのは勇気がいる


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本丸への上り口


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東側から登城しているが、南から西へと広い曲輪が本丸を取り巻いている


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西の曲輪の下は、かなり深い堀がある


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本丸へ上がると小さな神社がある


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神社は城山八幡社 鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊し、ここと何処かに祀られて、江戸時代ここは武士しか参拝出来ない、とある


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何か碑があるが城址碑でない 本丸跡は草むらで奥へ入るのはパス


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本丸の西に、土橋を通って西の曲輪へ繋がる


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土橋を通った先の西にある曲輪


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西にある曲輪の北側にも、土橋を通って北の曲輪に繋がる


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土橋の先の北の曲輪も草むら 城址巡りはこれで終わり この後は、桶狭間の戦いの史跡を巡る


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有松神社(高根山)


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ここも市街地で駐車場が無い 麓のファミマに車を置いて、急坂の住宅地を上がると、史跡散策路の標識があり


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今川軍の先陣隊・松井宗信率いる約1,500名が、鳴海、大高方面に対して備え布陣していた所


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織田軍の別動隊の佐々・千秋隊と激戦となるが、別動隊は打ち破られている


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桶狭間古戦場伝説地


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今川義元が討たれた場所は、ここ伝承地とこの後行く桶狭間古戦場公園の2か所ある 伝承地と公園は1km程離れているが、実際はどっちだったのでしょうか?


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今一理解できないが、七石表なるものがあり、これが一号碑で今川総介義元戦死所と刻まれている


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今川義元の墓


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明治9年 有松の住人 山口正義が建立したとある


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桶狭間古戦場跡の石碑 伝承地は国の指定史跡になっている


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弔古碑 この碑を建立(1809年)した津島神社の神官・氷室豊永は、この戦いで戦死した今川家の重臣・松井宗信の子孫 戦況の様子が刻まれている様だ


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駒つなぎのねず 義元はこのねずの木に駒をつないだ、と案内に書かれている


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伝説地の対面にある高徳院 ここに車は駐車出来る


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高徳院の境内に、今川義元の本陣跡の石碑がある 本陣はおけはざま山の筈なのに、どうなっているんだろう


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鷺之森碑


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はざま公園に碑があるので立ち寄るが、見つけるのに苦労する 公園の西入口の所にあった


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信長が、熱田神宮で戦勝祈願したところ、白鷺が飛び立ち進路を導いた 碑は明治9年建立されている


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釜ケ谷


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荒れ狂う雷雨の中、おけはざま山に陣取る今川本陣への突撃のチャンスを待っていた所 信長は空晴れるやすかさず、今川本陣へ突撃を命じて今川義元を打ち取り大勝利を収めた


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釜ケ谷は学校の敷地内で、フェンスに囲まれていて入れない あの坂を信長軍は駆け下りたのを想像する


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七ツ塚


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七ツ塚は民家の裏庭の様な所にある 


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七ツ塚だが塚は一つしか残っていない


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勝利を収めた織田信長は、村人に戦死者を葬るよう命じて引き揚げる 村人はこのあたりに七つの穴を掘り埋葬した


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桶狭間古戦場公園


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桶狭間古戦場公園は、合戦から450年目の2010年に整備された 園内には、合戦当時の地形・城・砦のジオラマ、今川義元の墓碑、義元駒つなぎの杜松、義元首洗いの泉、等がある


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今川義元戦死之地の碑


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駿公墓碣(すんこうぼけつ) 駿公とは駿河の国のすぐれたりっぱな人との意味 墓碣とは頭部が丸い形状をした墓石で、方形をした物は墓碑と言うそうだ


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2つ並んで墓があるが、こちらは昭和8年に建立された墓碑


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伝承地にもあったが、こちらにも駒つなきのねずの木がある


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昭和8年の頃のおけはざま山


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このジオラマは分かり易くて良い


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ジオラマの入口は清州城 信長は、合戦当日の未明に清州城を出発している


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義元首洗いの泉 討ち取られた義元の首は、この泉で洗い清められた


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説明看板に、泉の中にくるくる回る桶があったので、桶廻る狭間が桶廻間、桶狭間となった、と書かれている


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織田軍と今川軍の進軍ルート 丸根砦を落とした家康は、大高城に入っていたので、桶狭間の決戦には参戦していない


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古戦場公園周りにある幾つかの史跡を歩いて巡る 因みに公園には駐車場が無いが、直ぐ近くのカーマーの駐車場を利用できる


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おけはざま山(今川義元本陣跡)


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おけはざま山は、山の面影は全くない、密集した住宅地になっている


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信長公記には、今川義元おけはざま山に人馬の息を休めこれあり、と記されている 信長が釜ヶ谷から突撃したのは、このおけはざま山の本陣であり、桶狭間の戦いの主戦場となる 義元は古戦場公園辺りまで攻め込まれ討ち取られた


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瀬名氏俊陣地跡


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今川義元の家臣瀬名氏俊が、先発隊としておけはざま山に本陣を設営するため5月17日に着陣した所 瀬名氏俊は、神明社へ戦勝を祈願し、戦評の松の下で軍議を開き、そして無事本陣設営を終えて大高城に入ったので、桶狭間での戦死はまぬかれた


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瀬名氏俊陣地跡の石碑


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長福寺


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天文7年(1538)に善空南立上人が創建 上人は今川軍が着くと、村人の先導者となって飲食を提供したとあるので、今川よりの和尚と思われる


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信長は、長福寺の境内で義元やその武将の首検証をしている


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茶坊主の林阿弥は義元の顔を知っていたようで、首検証を命じられている


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戦評の松


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往時の大松は枯死しており、今の松は戦評定をしのぶ場所として、植樹されたもの


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義元の本陣の設営を終えた瀬名氏俊隊は、この大松の下で軍議を開いた


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桶狭間神明社


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神明社には、瀬名氏俊が戦勝祈願した時奉納した酒桶が保存されている 尾張4代藩主の徳川吉通が知多巡幸の時植樹した杉が神木


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徳川吉通が植樹した神木の杉


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瀬名氏俊が奉納した酒桶は、本殿奥に保存されているのか、見ることは出来なかった


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戦人塚


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桶狭間の戦いの戦死者約2500人を供養した塚


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戦人塚は、桶狭間古戦場とともに、国の指定史跡になっている


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桶狭間の戦いの舞台となった城址、および史跡巡り 楽しい1日を過ごすことが出来た