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百寺:勝常寺
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建立が807年 仁王門の構えもそうとう古さを感じる
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勝常寺は道の突き当りにある
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本堂には国宝の仏様が三体あるようだ
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仁王様の恰好もちょっと変わっている
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名水:磐梯西山麓湧水群
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代表の龍ケ沢湧水を見に来るが、車道から外れ草の道を20分程歩くのでパス
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伊達政宗と葦名義広が戦った摺上原を見に来る
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三忠碑は、葦名家臣が伊達との戦いで忠誠をつくし討死したもの
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摺上原はもっと原っぱのイメージだったが、こんな松林の中での戦いだったようだ
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白砂青松:天神浜 日本百景:猪苗代湖
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広々とした猪苗代湖に野鳥が多く飛んでいた
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湖だが立派な白砂も青松もあり
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あいにくの天気で磐梯山は見えず
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天気が良かったら、もっと日本百景の猪苗代湖の景色が楽しめたと思うが
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名城、平成百景:会津若松城
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会津若松城は別名鶴ヶ城 鶴の様に白くてキレイな城と言う事だろうか
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今回旅行出発前に大河ドラマ・伊達政宗を見ており、葦名、伊達、蒲生、上杉の4城主まで分かる
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瓦が黒でなく茶色である
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さすが会津が誇る名城 大きくて、美しくて、堂々としている
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城内に入るとまず塩蔵 籠城に備え塩や米の貯えが一番重要だったと思う
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鶴ヶ城の最後の藩主の松平容保は若くてイケメン
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京都守護職を受けたのが鶴ヶ城の不運となる
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白虎隊隊員は十代の少年達だが、とても少年には見えない面構えばかり
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綾瀬はるかが鉄砲を持って城内を走りまわっているシーンを思い出す
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天守閣から会津若松市内を展望
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中堅都市の会津若松市 人口は12万ほどなので我が豊田市よりもかなり少ない
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鶴ヶ城は平成百景であり、この景色も百景の一つだろうか?
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天守閣は何もなく殺風景なのはどの城も同じ
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鶴ヶ城のシャチホコは銀鯱 名古屋城の金鯱には遠慮したようだ
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枝が幾つもに分かれた松と城の景色がまた良い
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千利休の子が造った茶室と案内ある
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茶室の麟閣もちょっと見学 城と麟閣の入場料がセット
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明治5年撮影の鶴ヶ城 戊辰戦争の爪痕がいっぱい残っている
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白虎隊員が自刃した飯盛山に立寄る
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飯盛山は大観光地になっている
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山へは石段が続くが、有料のエスカレーターもある
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白虎隊を称えイタリアから寄進された記念碑
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白虎隊士が望んだ鶴ヶ城が遠くに見える
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城下の炎上を鶴ヶ城が炎上したと思い込み隊士全員がここで自刃
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鶴ヶ城を望む隊士の像
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戦争に悲惨はつき物だが、白虎隊の結束が悲劇を大きくしたと思われる
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隊士の銅像同様に、多くの観光客が鶴ヶ城を望む
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白虎隊士の中で一人蘇生した人が、後世に白虎隊の悲劇を伝える その人の墓もここに建てられる
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白い棒が邪魔だったが、位置を変えると鶴ヶ城がよく見えた
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名湯、日本百景:東山温泉
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土方歳三はこの温泉で傷をいやした
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小原庄助はこの温泉で身上をつぶした
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土方歳三が傷をいやした猿の湯
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東山温泉は中々景色も良い温泉街
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小原庄助さんが泊まった宿・龍の湯
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今日の宿は昨日に続き道の駅・にしあいづ 最後に大内宿へ行くが、大渋滞で明日に延期で15時に到着する
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道の駅から会津磐梯山がキレイに見えるが山頂は雲の中
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