2023.2.1 三河の城址:本證寺・上ノ郷城・伊奈城・山中城




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大河ドラマ”どおする家康”の舞台となる城址を巡る


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本證寺 寺の裏のたんぼが、トイレ付の広い駐車場になっている 大河ドラマの影響は凄い


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本證寺は、三河一向一揆の拠点となった寺


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堀に鶴がいるのが面白い


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三河一向一揆のガイドを、9時から無料で予約なしでやっているポスターがあった 境内のテントが受付場所だが、今日は9時過ぎてもやっていない


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本證寺の境内は、ぐるっと水堀が取り巻いていて、城と変わらない


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旗も一杯立っていて、大河ドラマで盛り上がっている


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鯱も乗っている鼓楼が立派 1760年の建立と案内あり


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三河一向一揆の記述がある 家康と一揆側は円満に和睦したと思っていたが、その後坊主衆は追放、寺は破却されたと書かれている


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三河三か寺は、年貢免除の特権があったが、家康は無視して寺の兵糧米は強奪したことで一揆が勃発した、とネットに載っていた 家康が悪いじゃん


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大河ドラマの先回放送は、信長との清州同盟だったので、近い内に三河一向一揆の放送があると思われる


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上ノ郷城 近くの赤日子神社の駐車場に車を止め城址まで歩く 駐車場にこの看板あり


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赤日子神社から2〜3分程歩くと、上ノ郷城の登城口に着く


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土塁の上に城址碑が立つ


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ちょっと高い土塁で、上がる道は狭い


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主郭への登城道 左右の畑は、主郭下の曲輪跡と思われる


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主郭に立つ大きな城跡の看板がよく目立つ 赤日子神社からも、この看板が見えた


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主郭の虎口に立つ


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上ノ郷城城主は今川側の鵜殿氏 1562年家康は、忍者を使い攻め落とした


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今朝の新聞に、上ノ郷城の復元模型が、公民館に展示されていると載っていて、見に行こうと思っているが、主郭にも案内があった


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名取山の家康の腰掛岩の看板ある 奥の山が名取山と思って撮る 名取山は、上ノ郷城攻略で家康が本陣を置いた所


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上ノ郷城主の室は今川義元の妹で、家康は駿府に残した妻子を、人質交換で救出したとネットに載っていたが、その案内が全然無いのがたるい


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赤日子神社の本殿


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蒲郡西部公民館に立寄り、上ノ郷城の復元模型を見る


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大河ドラマの出演者の写真 家康に敗れ討ち取られた鵜殿長照が載っている 大河ドラマ次回は瀬名の救出場面の放送なので、長照が出て来ると思う


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西部公民館の館長の伯父さん 親切丁寧にガイドしてくれました


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館長も写真入りで新聞に載っている


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伊奈城 徳川家の家紋・三つ葉葵の発祥の地


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二葉葵の看板と仕切りがあるが、葵の木は無い


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伊奈城は伊那本多氏の居城 徳川四天王の本多平八郎忠勝は、ここからの出だと思うが、彼の名前がどこにも無い


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伊那城址は小さな公園で、高い土塁と城址碑が見所


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物見櫓が建っているが中へ入れず


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土塁の上へ上がれる


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本多家は立葵紋、徳川家は三つ葉葵紋 そのいわれが書かれている


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堀に逆茂木の模型があるが、何とも迫力が無い


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山中城 岡崎城主・西郷信貞の居城だったが、1524年家康の祖父の清康に、攻め落とされている


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山中城は大きな山城で、城郭や土塁・堀等の遺構もしっかり残っている


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舞木口の登城入口 柵を勝手に開けて入れる


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階段の長い登城道が続く 骨折で脚力が落ちたが、心臓も大分弱くなっていて、ちょっとした登りもえらくてしょうがない


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中々感じ良い土橋に出る


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土橋の両側は深い竪堀


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あちこちに曲輪の案内あるが、〇〇曲輪と名前を付けて欲しい


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土手の高さが何とも凄い 上は東曲輪と思う


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先に見た土手の上 東曲輪と思って写真撮るが、実際の東曲輪はまだ先だった


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またこんもりとした土手に出る 上が馬出しと思うが、また間違っていた


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あまり深くないが堀切の案内あり


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堀切の案内の所より下を見る 中々感じ良い城郭の景色


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堀切の上に馬出しの案内があり、自分のいる位置がようやくハッキリ分かる


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北東尾根曲輪への分岐地 北東尾根曲輪へは後で行く


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東曲輪から主郭を見る 写真撮りの為女房は先に主郭へ上がる


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主郭からの眺望 岡崎市街からは離れていて、山間に小さな部落が見えるのみ


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主郭には、城址看板と城址碑と城址説明看板がある


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主郭下の帯曲輪


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清康が西郷氏から奪い取ったが、その後今川氏の城になり、桶狭間の戦い後、また家康が奪い取り、徳川氏の支城になった


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城址碑が細い 山中城は岡崎市指定史跡になっている


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主郭から下の東曲輪を見る


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本丸に続く広い削平地が二の曲輪


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何が書かれているのか全然理解出来ず


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二の曲輪の下は、腰曲輪が何重にも取り巻いている


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腰曲輪の方へ降りると、竪堀の案内あるが、人力で掘った堀には見えない


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主郭・二の曲輪を取り巻く腰曲輪


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北東尾根曲輪へ行くが、あまり変わり映えしない景色ばかり 大きな堀切の下で、両手を上げて深さを堪能したかったが、何処かにあると思うが見付けれなかった


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中山城址の山


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帰りに道の駅・藤川宿に立寄ると、狸顔の家康が出迎えてくれる


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藤川塾は、吉田宿と岡崎の間にある宿場 道の駅はとても大きく、大いに流行っていた