|
家を7時40分に出発し、新東名の浜松SAに8時30分到着 今日は浜松の北方の城址を巡る
|
|
|
浜松SAにビューポイントの展望台がある
|
|
|
今日訪城する井伊谷城の支城の大平城の案内がある
|
|
|
画面左端の山が大平城址 高速道路の奥の山が三岳山で、そこにも井伊谷城の支城がある
|
|
|
国指定史跡の二股城
|
|
|
二股城は、徳川家康と武田信玄・勝頼親子との攻防戦が繰り広げられた城 家康の嫡男・信康はこの城で自刃している
|
|
|
登城口を上がると直ぐに大きな堀切がある
|
|
|
本丸と北の丸の渡し橋
|
|
|
本丸の入口の石垣がカッコ良い
|
|
|
今川→徳川→武田→徳川→豊臣、領主が目まぐるしく変わっている
|
|
|
石垣で補強されたキレイな土塁が、本丸を取り巻いている
|
|
|
見事な天守台の石垣 天守は豊臣家臣の堀尾氏の時代に造られたと思われる
|
|
|
城址碑もちゃんとある
|
|
|
この程度の階段なら苦なく上がれる
|
|
|
端っこに立ってバンザイは気持ち良い
|
|
|
天守台から本丸を見る
|
|
|
反り返った石垣を見ようと覗き込むが、ちょっとヒビリます
|
|
|
本丸広場は、グランドゴルフ場になっている
|
|
|
本丸と二の曲輪を仕切る土塁
|
|
|
二の曲輪と蔵屋敷の間の堀切は中々カッコ良い
|
|
|
蔵屋敷の南側の高い土塁
|
|
|
蔵屋敷から南曲輪への道 奥は藪になっており、南曲輪へ行くのはパス
|
|
|
土塁の上でもバンザイ
|
|
|
先に見た二の曲輪と蔵屋敷の間の堀切
|
|
|
二の曲輪への虎口も立派な石垣
|
|
|
大きな枯れ木が石垣に食い込んでいるのが凄い
|
|
|
二の曲輪にある城山稲荷神社
|
|
|
二の曲輪から本丸を見る 奥に天守台の石垣が見える
|
|
|
北曲輪跡に建つ旭ヶ丘神社 日清・日露戦争の戦没者を祀っている、と説明看板あり
|
|
|
二股城にかかわりある清瀧寺に立寄る
|
|
|
信長は、信康の類い稀な能力を恐れて切腹を命じたと書かれているが、これはウソでしょう
|
|
|
社の中で良く見えないが、家康と信康の像がある
|
|
|
二股城で使われた井戸櫓が復元されている
|
|
|
清瀧寺は、信康を供養するために家康か建立
|
|
|
中々立派な清瀧寺の本堂
|
|
|
清瀧寺に信康を祀る墓がある
|
|
|
信康の墓へは入れない
|
|
|
そろそろ梅も咲き出している
|
|
|
|
本田宗一郎少年は、二股尋常高等小学校に通っていた
|
|
|
鐘を30分早くついて、早弁をしていたとは、宗一郎少年は中々やる
|
|
|
清瀧寺の庭 一筋の滝が落ちている
|
|
|
清瀧寺の直ぐ隣に無料で入館できる本田宗一郎ものづくり伝承館がある
|
|
|
懐かしいスーパーカブ 高校時代友達の家にあり、良く運転させてもらっていたのを思い出す
|
|
|
本田宗一郎氏 偉くなる人は取り組む姿勢・情熱が凡人とはかなり違うと思う
|
|
|
モンキーもある 東海自然歩道歩きで、歩いた後の戻りで使うため、車に積んであちこち行ったのが懐かしい
|
|
|
本田宗一郎は絵まで上手い
|
|
|
次に鳥羽山城を訪城
|
|
|
鳥羽山城は、家康が武田方の二股城攻略で、砦を築き本陣を構えた城 二股城と合わせて国指定史跡となっている
|
|
|
当時の大手道と思われる その奥に整備された大手道がある
|
|
|
大手道の入口の所に城址碑がある
|
|
|
整備された大手道を上がる
|
|
|
ちょっとした堀切があり城郭を感じれる
|
|
|
山城の登城道は狭いのが普通だが、とても広い大手道 家康時代の後に整備されたと思う
|
|
|
本丸虎口の下に石垣が残っている
|
|
|
|
両側の石垣の間に、立派な大手門櫓があったのを想像する
|
|
|
ちょっとはキツイ登城と思ったが、難無く本丸へ上がれた
|
|
|
本丸に展望台が建っている
|
|
|
|
大きく蛇行する天竜川が見える
|
|
|
展望台から本丸を見る 周りに桜の樹があり、ここは桜名所となっている
|
|
|
山城の本丸に庭園がある 鳥羽山城は、迎賓機能を備えた居館になっている
|
|
|
もう少し当時の庭園を再現して欲しい
|
|
|
本丸の周りは凄く高い土塁で囲まれている 土塁の上は、長い滑り台が造られている
|
|
|
搦手の虎口
|
|
|
東門跡 外枡形の構造になっていると看板あり
|
|
|
本丸を囲む石垣
|
|
|
本丸の土塁の上から、西の丸までの滑り台になっていた
|
|
|
本丸と下の西の丸の間の堀切
|
|
|
西の丸にある展望台
|
|
|
二俣城を展望出来ると思ったが、見れなかった
|
|
|
井伊谷城跡 城跡は城山公園となっていて、凄く広い駐車場がある
|
|
|
井伊谷城は、女城主の直虎や徳川四天王の井伊直政で有名 南北朝時代は、後醍醐天皇の皇子・宗良親王を迎え、南朝方の拠点となっていた
|
|
|
登城口から頂上までは310mと短いが、凄い急坂となっている
|
|
|
ここでも梅が咲き始めていて、もう直ぐ春を感じれる
|
|
|
登城途中に、立派な石垣の曲輪があり、上は休憩所になっている
|
|
|
ちょっと距離だが、滅茶苦茶急坂でとてもえらい
|
|
|
直虎が休ませてくれる
|
|
|
とってもえらかったが15分程で本丸の虎口に着く
|
|
|
直虎と虎松(後の直政)と知らない和尚が迎えてくれる
|
|
|
本丸の土塁に立つ城址碑
|
|
|
井伊氏の居館は、山頂でなくて麓の井伊谷ある
|
|
|
本丸に設置されている展望台
|
|
|
展望台から井伊谷の全景が望める
|
|
|
もっと浜名湖が望めると思ったが、右上の山間に少し見えるだけ
|
|
|
本丸の大きな土塁の下に幾つかの腰曲輪が取り巻いている
|
|
|
遠くに井伊谷城の支城がある三岳山が見える
|
|
|
三岳山城は以前訪城しているが、登城は長い山道だったと思う もう自分の体力では登れないだろう?
|
|
|
御所の丸とあり石が積まれているが、何の跡何だろう?
|
|
|
浜松地域遺産センターで戦国の井伊谷の展示があり、無料で入館できる
|
|
|
ここでも直虎ちゃんが出迎えてくれる
|
|
|
女城主直虎の大河ドラマ館で展示されたものが、ここで再提示していると思われる
|
|
|
大河ドラマは見ていたが、どんなストリーだったか全然覚えていない 女城主直虎は2017年に放送されている
|
|
|
この辺りは古墳が幾つもあるようで、埴輪が多く出土しているようだ
|
|
|
井伊氏の歴史が詳しく紹介されている 井伊氏初代は、平安時代に井戸から生まれたとある また井伊谷を本拠地にしたので、井伊を名乗ったとある
|
|
|
井伊直政は、関ヶ原の戦い後佐和山城主となり、直政没後に彦根城に入り繁栄し、幕末の井伊直弼の登場となっている
|
|
|
このジオラマは分かり易く井伊氏を紹介している
|
|
|
三方ヶ原の戦いとその前哨戦の仏坂の戦いで、井伊氏は武田軍に大敗している
|
|
|
井伊谷城にゆかりの龍潭寺・井伊谷宮に立寄る
|
|
|
龍潭寺の本堂と隣のお堂がとても立派
|
|
|
龍潭寺に井伊直政出征の碑がある
|
|
|
井伊直政は、桶狭間の合戦の翌年の1561年に生まれている
|
|
|
龍潭寺は井伊氏の菩提寺で、井伊氏歴代の墓所がある
|
|
|
|
正面右が初代の井伊共保(井戸から生まれた人)の墓
|
|
|
左の列の一番手前が直政、手前から3つ目が直虎の墓
|
|
|
龍潭寺の直ぐ隣に井伊谷宮がある
|
|
|
井伊谷宮の境内に、後醍醐天皇の皇子・宗良親王の墓がある
|
|
|
宗良親王の墓へは入れない
|
|
|
|
井伊谷宮の本殿
|
|
|
難転厄割石なるものがある 盃に厄を書き石に投げて割って厄払いする 一盃200円で厄払いも金次第となっている
|
|
|
井伊直政に思いを馳せて楽しく龍潭寺を参拝出来ました
|
|
|
最期に三方ヶ原の戦いの前哨戦の仏坂古戦場を訪れる
|
|
|
看板ある所から、左側をもう少し進んだ所に合戦地がある
|
|
|
信玄は本隊と別動隊に分けて遠江に侵攻する 別動隊の山県昌景と徳川方の井伊氏がここで戦い、井伊氏は敗北し井伊谷城も落城する
|
|
|
木の支柱だが仏坂古戦場の碑もある
|
|
|
古戦場の近くに、ふろんぼ様と呼ばれる場所がある
|
|
|
ふろんぼ様は、仏坂の戦いで討死した井伊飛騨守を葬っている
|
|
|
井伊飛騨守直成他88名の武将が戦死している
|
|
|
|
|
|
|