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先日に続いて美濃の城址を巡る ここは瑞浪市にある諏訪神社
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諏訪神社は、1563年鶴ヶ城主の土岐信光が建立してとある 諏訪神社のすぐ南に鶴ヶ城址の山がある
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中々見事な構えの諏訪神社の本殿
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鶴ヶ城 諏訪神社に車を駐車し、徒歩5分程の所に登城口がある
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美濃源氏土岐氏古城と書かれた、立派な石の城址碑
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登城口の所に鶴ヶ城P5台可とあるが、登城口の前は狭い道路で駐車スペースは全然無い
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登城道は整備されているが、いきなりキツイ階段の道 しかし距離は短い
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大河ドラマ麒麟がくるで立てられた旗と思われるが、光秀が土岐氏の一族になっているのが気に入らない
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二の木戸跡の看板 登城道に2つの木の門があった、と書かれている
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西出丸の下の腰曲輪 登城口からここまで6分程で上がれた
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西出丸 西出丸は尾根にあり、先端は眺望抜群の看板があり
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西出丸先端からの眺望 ここは承久の変の舞台にもなったようだ
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遠くに恵那山が見えるが、その先に北アルプスがある筈だが、アルプスの山々は見えず
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本曲輪の下にある葵の井戸 葵とあるので徳川の葵の紋が浮かぶが、葵姫が落城時に身を投げた井戸、の説明があり
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山城に井戸は非常に貴重なものだが、今は埋まってしまっている
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本曲輪の切岸が高くてとても見応えあり
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切岸を上がった所から、尾根伝いに東出丸が延びている
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東出丸の尾根
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東出丸の先端も、西出丸先端と同様南東に向いていて、同じ眺望
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本曲輪の虎口 鶴ヶ城は別名・神箆(こうの)城、土岐城と言う
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鶴ヶ城は、鎌倉時代に美濃国守護になった、土岐光衡(みつひら)が築城 武田氏討伐で、信長もこの城に入城したとある
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本曲輪の端にある小さな土岐神社
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土岐神社の下は大きな堀切 西出丸の所に堀切下へ下りる降りる道があったので後で行く
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本曲輪からの眺望 城の東側が広々と展望出来る
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森の新緑が鮮やかでとても気持ち良い
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西出丸から本曲輪北の大堀切へ降りる道 中々険しく危険な坂道を、慎重にも慎重で降りる
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下に降りれて一安心
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あちこちに竪堀の跡が見られる
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本曲輪北下の大堀切 上は土岐神社があった所
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堀切の下に立つと、手を挙げてその高さを表したくなる
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大堀切の先から、振り向いてもう一枚 高さが何とも素晴らしい
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中央高速道 連日高速道路は大渋滞していたが、今日はスムーズに走っている
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一日市場館跡 八幡神社境内が一日市場館跡
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一日市場館は、土岐一族の始祖・土岐光衡が築いた館 明智光秀は、土岐光衡の直系の子孫になっているが本当か?
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八幡神社の本殿
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八幡神社境内に、土岐光衡と明智光秀が並んだ銅像がある
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おっとり顔の光秀
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椿のかんざしと思ったが、桔梗の花だった 光衡は桔梗を兜に付けて戦っており、桔梗紋が土岐氏・明智氏の家紋になっている
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土岐氏一日市場館跡と刻まれたデッカイ石碑がある
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次へ移動中ジョイフルを見付け昼食
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うな丼も捨てがたいが、安いうす切りビーフステーキとガーリックライスにする
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ニンニクが効いた焼きご飯がとても美味かった
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高山城 穴弘法と言う所から登城道あるが、山の上まで車で上がれる
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高山城は、土岐市の一族の高山伊賀守秀頼と言う人が築いている 高山伊賀守は道三と義龍の戦いで、義龍側に就くが戦死して、土岐高山氏は終焉している
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本丸の入口は、中々感じ良い門構え
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立派な石の城址碑もある
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門を上がると直ぐ本丸
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本丸に物見櫓が建っていて上がれる
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物見櫓から土岐市街を展望出来る
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単純な城郭であっという間に訪城も終る
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本丸の横の草むらに二の曲輪の碑がある
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ここも新緑がとても感じ良い
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妻木城士屋敷跡
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妻木城は山の上にあるが、城士は山の麓に屋敷を構え住んでいたようだ
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屋敷を囲む石垣が何とも凄い
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城は山頂に、屋敷は山の麓に これは理解し易い
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枡形の入口 広くて一見迷うが、この広い玄関が枡形になっている
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上の御屋敷に上がる石段 ここに門があったと思われる
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上の御屋敷から、下の玄関の枡形を見る
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井戸跡も残っている
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何段にも石垣が組まれていて、中々見応えあり
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蔵跡の石垣も中々良い感じ 屋敷跡から山頂の城址までは、徒歩30分の案内あるが、山頂に駐車場があり車でも行ける
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妻木城 山頂にある広い南口駐車場
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城郭と堀や写真ポイントもあり、楽しい散策が出来そうだ
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駐車場から山頂まで徒歩10分と案内あり、登城は苦も無く出来そう
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登城道は、大きな石がゴロゴロしており驚く
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城郭の下の道・巨石群の標識がある方へ行く
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名前通り圧巻の巨石があちこちにあり
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南曲輪との間の大きな堀切 巨石を避けながら掘ったと思われ、土手に巨石が剥き出ている
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あまり見る事のない巨石の道は、つい興奮してしまう
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花崗岩の巨石群と節理 節理とは、マグマが冷えて岩になる時、収縮して割れ目が出来る事を言う
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どう見ても巨石が積まれているようにしか見えない
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これも節理した石なんだろう 凄過ぎる
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土塁も残っているが、そう高くない
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曲輪Vへ上がる狭い道 崖は垂直に近い絶壁で、滑落したら命も危ないと思える
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曲輪Vへ入る 曲輪Vは見晴らしが効き、大展望が楽しめる
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御嶽山や中央アルプスが見えるようだが?
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残念、恵那山は見えるが御嶽やアルプスは見えず
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市街地の右側の森に、先ほど訪城した高山城があるが、何処だか良く分からない
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曲輪Vから曲輪Uへ入る虎口 石の門柱みたいな物が立っている
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妻木城は、1339年土岐頼貞の孫、土岐明智彦九郎頼重が祖父の遺領を継いで妻木を領し築城した、と推測されている 関ヶ原合戦で妻木頼忠は東軍に属し、西軍に属した岩村城の田丸氏と戦い勝っている
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曲輪Uと曲輪Tの間は、石垣で仕切られている
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曲輪Tを仕切る石垣も中々良い感じ
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物見杉とあるので、杉の木に上がって物見していたのでしょう
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物見杉は、戦後下駄作りで切り取られた
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曲輪Tの広い削平地
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曲輪Tの隅にある大きな旗立岩 岩の裂け目に旗を立てていたと思われる
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曲輪Tの下の腰曲輪
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腰曲輪から旗立岩を下から見上げる すさましい大きな岩にビックリ 岩から巨木が生えているのも凄い
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曲輪Tから、先に見た節理の石がある所へ降りる ここも結構急な階段で、撮影しながらは危険であり、慎重に下りる
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女房は先に見た南曲輪の堀切から、南曲輪へ上がる
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くさび跡のある大岩の方へも行く 太鼓櫓との堀切が中々凄い
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キレイに十字のくさびが入った大岩 これは石を割ろうとしたが、途中で諦めた物なんでしょうか?
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くさび石のある先も深い堀が延びている
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くさび石を廻り込むと、何とか堀切の下へ降りれそうなので、行ってみる
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堀底に立つと、V字の巨大な堀切に感動する 堀下からの撮影は、Y字ポーズが習慣となっている
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大堀切の奥からの写真を撮って今日の城址散策を終了 特に鶴ヶ城と妻木城は、城郭と遺構の素晴らしさで、興奮と感動する訪城となった
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