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旅館の朝食 まぁこんなもんでしょう
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朝からの大雨で、気力が萎えて来るのを何とか持ち直し、今日の予定の小田原城見物に出かける
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小田原城の駐車場をナビにセットすると、報徳二宮神社の駐車場を案内する
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神社入口に、二宮金次郎の像があったので、彼に関係ある神社だと思うが?
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神社から城へ入ると、直ぐに小峰曲輪北堀
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いきなり素晴らしい堀に出くわしたが、大雨が鬱陶しい
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見事なゆりの花が咲いていた
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小峰曲輪北堀を進むと、直ぐに立派な天守が目に入る 何とも美しい天守だ
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大雨を避けたくて、先ずは天守へ入城
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1位は大阪城、2位は名古屋城、...小田原城は7位
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小田原北条氏は、早雲−氏綱−氏康−氏政−氏直、5代約100年続く
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大きな城郭で、上杉謙信や武田信玄に攻められても落ちなかった この驕りが、小田原征伐の悲劇を生んだと思える
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二階に、小田原北条5代の紹介や小田原合戦の案内あるが、撮影禁止なのが残念
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小田原城に関する質問と答えがある
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駿河の何処かの城を訪城した時、北条5代の大河ドラマ誘致をやっていたが、今どうなっているのだろう 今年の訳の分からないどうする家康より、余程か面白いドラマになると思うが
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明治4年の常盤木門の写真 今にも崩れそう
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摩利支天 武士の間で信仰された仏さん
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摩利支天が天守閣に祀られている でも、何でイノシシ何でしょう?
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現在の小田原城は江戸時代に整備されたもの 北条氏の時代は、奥の小山・八幡山の所に本丸があった
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石垣山一夜城がある方向だか今日は望めない 北条も敵城が一夜に現れたら驚いたと思うが、実際は秀吉は何年も前から準備しており、それに全然気付かなかった北条も情けない
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天気が良ければ、伊豆半島や大島が見えるようだ
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天守閣から、本丸・常盤木門を望む
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常盤木門は本丸防衛の最後の門であり、枡形で防御を高めているのが、良く分かる
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本丸広場から天守を望む 本当に美しくて素晴らしい天守だ
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一本松も中々カッコ良い 天守と一緒に撮ると良く映える
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雨の中でもこの人出には驚き
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常盤木門の内側
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現在の常盤木門は昭和46年再建とある
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常盤木門の外側 枡形で防衛しているのが良く分かる
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常盤木門の古い石碑 どっしりと石垣の感じが最高に良い
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本丸を囲む内堀は本丸東堀 現在は赤い橋だが、往時は常盤木橋が架かっていた
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石垣山一夜城でも見たが、秀吉に完全に包囲されている 秀吉は左下の石垣山城に陣を置き、家康は右上に陣を置いている
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銅門と書いて"あかがねもん"と言う
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名前の通り、門扉は銅で造られているようだ
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銅門は二の丸への入口で、やはり枡形になっている
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門越しに天守が見える良い眺めです
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銅門と住吉堀 水堀の住吉掘だが、往時は北条氏が得意とする障子掘?
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発掘調査で障子堀になっている
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馬出門 銅門と馬出門の間は馬出し曲輪で、二の丸を防衛しているようだ
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馬出曲輪から本丸を望む
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馬出門を出て、堀越しが写真スポットになっている
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前の写真からちょっとズレると、ここが写真スポットだった 馬出門越しに天守が見えた 最高の景色だね
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これで小田原城の見物は終わり 北条氏時代の八幡山古城も見たかったが、雨の中の歩きが大変なので止める
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北条氏時代の、小峯御鐘ノ台大堀切東堀
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秀吉の小田原攻めに対し、北条は総構えの周囲9kmの堀を築く
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何とも素晴らしい堀で、少し歩きたかったが雨の中で断念 デジカメが濡れて作動しなくなる
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小峯御鐘ノ台大堀切東堀の所には無料の駐車場があり、伊豆半島が見えた これで2泊3日の旅行は終了
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