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暫く山城を訪れていないので、1泊2日で東近江の城址巡りに出る 通勤渋滞を避ける為、朝6時に家を出て7時に名神高速の養老SAに到着
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養老SAに朝飯定食のメニューが無い 大きな油揚げのキツネうどんにする
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9時過ぎに近江八幡山のロープウェイ乗り場に到着 彦根ICで出たのが間違いだった 通勤渋滞に巻き込まれて、彦根ICからここまで1時間以上かかってしまう
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近江八幡山城 秀吉の甥の秀次が1585年に築城する
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もみじの小さなロープウェイ ここは紅葉の名所だが、まだ一カ月ほど早いと思われる
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ロープウェイは往復890円 4分で山頂駅に着く
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山頂駅から、八幡山城址の散策コースは30分の案内あり
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山頂駅の直ぐ上にある展望館は二の丸跡
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展望館からの眺望 左の池が西の湖、その奥の小山が安土城跡、右上の高い山か観音寺城跡の繖山(きぬがさやま)
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八幡山城の城下町の近江八幡市
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豊臣秀次は殺生関白と呼ばれ暴君のイメージが強いが、実際は城下町の建設に功績した有能な殿様だった?
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瑞龍寺の山門
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瑞龍寺は本丸跡に建てられており、山門前の石垣は本丸虎口の石垣と思われる
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関白豊臣秀次の銅像
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秀次はとてもイケメン 確か秀次は、多くの側室を抱えており、秀次の処刑に合わせて、全ての側室も処刑されている
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立派な瑞龍寺の本堂
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瑞龍寺は、秀吉の姉の智が、子の秀次・秀勝を供養するため建てている
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瑞龍寺の六角堂 一本のもみじだけ紅葉している
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本丸の下を通って北の丸へ 本丸の石垣がしっかり残っている
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北の丸からの眺望
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北の丸から上の本丸への石垣がとても凄い
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西の丸からの眺望
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左上の尖った山が比叡山
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琵琶湖奥の高い山が比良連峰
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家から持ち込んだバナナとなごやんを食べて小休止
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出丸からの眺望 近江八幡の城下町の眺めが中々良い
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出丸の下には、1585年築城時の石垣があり、立入禁止のロープを超えて覗き込むが足が竦む
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出丸下の石垣を見て八幡山城址の散策は終了 30分の散策コースを歩くが60分もかかった
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ロープウエイ乗り場から、出丸下の石垣を望む事が出来る
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安土城考古博物館
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安土城の登城前に、安土城の知識習得の為に入館 特別展をやっていたが、常設展示の入館のみで、入館料は500円
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第一展示室と第二展示室があり、第一展示室は古墳時代の展示
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古墳時代の王者の装い
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古墳時代に、鉄の鎧や鉄の槍あったとは知らなんだ
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鉄剣も出土している 古墳時代に、製鉄の技術は確立されていたようだ
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第二展示室は安土城跡を中心とした展示
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近江の山城は、立派な石垣の城が多くある
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観音寺城址の模型
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小谷城址の模型
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信長が造った大船 手漕オールの数が凄い
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安土城の羽柴秀吉邸 さすが秀吉、立派な建屋をいっぱい建てている
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群雄割拠した戦国大名達
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信長の館 入館料は610円
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信長の館では、安土城の5・6階が実物大で復元されている
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大き過ぎて全体を写真に収めれない
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山頂へ大きな石を運ぶ大変さが良く分かる
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金ぴかの6階の天守が凄過ぎる
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5階は赤色の八角形の造り 信長は八角形に拘ったと思うが、なぜ八角形だったんだろう?
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安土御献立の説明書き
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家康を接待した時の献立 臭い鮒ずしがちゃんとある
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上に上がると6階の内部が見える
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6階は凄い壁画の部屋
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安土城の鯱 名古屋城の物と大分イメージが違う
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見応え十分の安土城天守に興奮する
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昼食は、文芸の郷内にあるレストランで 信長とか合戦と言った名前が付いたメニューがある
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1200円の合戦焼き定食を注文
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玉ねぎいっぱいの焼肉定食だが、良い味付けでとても美味しかった
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安土城
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天下統一を目指す信長は、1576年に丹羽長秀に普請を命じ、3年後の1579年に完成するが、1582年の本能寺の変の後に焼失している
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安土城への入城は有料で700円
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見た目は素晴らしい石段の大手道だが、登るのはとても大変そう
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大手道の入口の右側に前田利家の邸跡がある
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利家邸の石垣
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大手道の入口の左側は羽柴秀吉邸跡
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秀吉邸の石垣は何とも凄い 築城時は、利家と格差はそんなにないと思うが、利家邸より遥かに大きいのは何故なんだろう?
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秀吉邸だけでも、よその城より大きい感じがする
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秀吉邸の敷地跡も凄く広い
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秀吉邸主殿の説明書き
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秀吉邸の復元図 派手で大げさ好みの秀吉が良く分かる
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ハ見寺の釣り鐘 自由につける
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国の特別史跡で百名城の安土城は、平日でも訪れる人がいっぱい
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大手道の至る所にこんな石仏がある 何処かの墓から持って来て石段に使っている
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大手道の石段は、とても段差が高く、上がるのも降りるのも大変辛い
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織田信忠邸跡の石碑
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森蘭丸邸跡の石碑 すぐ横に織田信澄邸跡もあるが、信澄は誰なんだろう?
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急坂と段差の高い石段歩きで、本丸へ着く前にバテバテに
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二の丸入口の黒金門跡 石垣が枡形になっている
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黒金門跡の説明書き
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二の丸に織田信雄四代の供養塔がある
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信長の四男の信雄は、小牧長久手の戦いで秀吉と戦うが、その後和睦して生涯を全うしている
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織田信長の本廟
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本能寺の変で、信長は燃え尽きて遺骨も見つからなかったと思うが、墓には何が埋葬されているんだろう
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二の丸から本丸へ
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本丸跡の説明書き
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広い本丸は千畳敷と呼ばれていた
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本丸から天守台へ 階段も周りの石垣も凄い
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天守閣跡の碑
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天守台からの眺望 天守台からは木々の間からしか眺望出来ないが、天守閣の最上階からは遮るものは無く、360度の展望が出来たのだろう
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天守台一面に、天守閣の礎石が残っている
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帰路は、大手道を降りずにハ見寺跡の方へ
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ハ見寺は江戸時代末期に焼失したと案内あり
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とても古そうな三重塔 この塔は往時から残った物と思われる
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ハ見寺から仁王門へ降りる石段もとてもきつい
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ハ見寺の仁王門
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木の仁王様が睨みをきかしている
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ハ見寺仁王門で安土城址の散策は終了 登城入口に、往復1時間の案内があったが、自分の脚力・心臓では2時間かかった
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安土城の後は、観音寺城址へ行く予定だったが、完全にバテバテで取り止め
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今日の宿は、ルートイン彦根
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ホテルのロビー 落ち着いた感じで中々良い
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狭いツインの部屋だが、格安なので文句は無し 1泊2食付き二人で14700円
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ルートイン彦根には大浴場があるので嬉しい 入浴後のビールがまた格別に旨い
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夕食はホテル内にある居酒屋
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夕食は1100円分あり、居酒屋のメニューが注文出来る 1100円の日替わり定食もあり、今日はネギトロ丼定食でこれにする
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夕食でのビールは我慢 ネギトロ丼は結構旨かった
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彦根のゆるキャラ・ひこにゃんと写真を撮って、長い一日を終える 今日は19:30にベットに入る
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