2023.12.4 山口旅行 1日目




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来年に行こうと思っていた萩城、急遽前出しして見に行く


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新幹線で高い運賃を払って山口まで行くので、ゆっくり観光しようと3泊4日で山口旅行を計画 因みに三河安城から新山口までの運賃は、二人往復で67千円


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三河安城7:37発のこだまに乗り、名古屋でのぞみに乗り換えて、新山口に10:33に到着する


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朝飯は家から持参した、握り飯とカップみそ汁とウインナー焼きとゆで卵


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新幹線の車内販売は中止になったニュースを見たが、山陽新幹線ではワゴン販売があった コーヒーも家から持参しており、岡山を過ぎた所でコーヒータイム


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新山口駅からはレンタカーで移動 レンタル料は、4日11:00〜7日14:00まで、軽4車で保険加入で約27千円


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最初の観光は、木戸神社 木戸孝允(桂小五郎) が神として祀られている


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レンタカーはスズキのアルト ナビ・ドライブレコーダー装着車だが、ナビはスマホのグーグルマップを利用するので実際は不要


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小さな木戸神社の社には、木戸孝允の写真が飾られている


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境内にキレイなもみじの紅葉あり


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鮮やかな赤が何とも良い


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木戸神社から、高嶺城跡の山が見える アンテナが見えるが、あそこまで車で行ける


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木戸神社の隣りに、木戸孝允旧宅跡がある 木戸孝允は萩の生まれだが、結婚した時ここに住んでいたようだ


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木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通は、明治維新の三傑だが、何れも明治10年に亡くなっている


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木戸神社から、狭い山道を上がって高嶺城跡へ行く途中、見晴らしが効く場所あり


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山口市街を一望出来る


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高嶺城跡  電波塔の所に4〜5台程の駐車スペースがある


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電波塔の所から主郭までは500mの案内あり


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登城道は、結構険しい登り道


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途中休憩小屋があるが、見晴らしは全然効かない


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主郭の手前の広い郭 あまり城郭と言った感じがしない


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主郭への登り口 右手に石垣の案内あるので、石垣を先に見に行く


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主郭の東側に石垣が残っている


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主郭を取り巻いて石垣がある 戦国時代初期の山城に、石垣が使われているのは、珍しいと思う


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主郭の虎口


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主郭から下の郭を見る


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高嶺城は、大内氏最後の当主・大内義長が、1556年毛利の進行に備えて築城するが、完成前に毛利に攻められ自刃している


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主郭は広い削平地 深い堀切や空堀等の遺構を期待したが、堀や土塁の遺構は全然無い


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主郭からの山口市街の眺望


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主郭から下の郭を写す


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山城の石垣は、信長の安土城から始まっているが、毛利はそれ以前に石垣の技術を持っていたようだ


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主郭南側の石垣は2段になっている


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高さは無いが、中々感じ良い石垣


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電波塔の西側にも郭がある


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高嶺城は、大内氏の後毛利氏の支城として整備されたが、1615年の一国一城令により廃城となっている


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下にも何段か郭が連なっているが、高嶺城の散策はここまで


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大内氏館跡(龍福寺) 高嶺城跡と館跡は、大内氏遺跡として国指定史跡になっている


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大内氏2代弘世が1360年頃、それまでの館のあった大内御堀から移り居館を築いた 大内氏は中国地方の覇者であり、当時は山口が西日本の政治経済の中心地になっている


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龍福寺の参道は紅葉の真っ盛り


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特に、参道を覆う大きなもみじが、真っ赤に紅葉していてキレイだった


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思わず紅葉狩りも楽しめた


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黄色のもみじも中々良い


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サビエルは大内氏の許しを得て、この地から布教を開始している


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質素な龍福寺の山門


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繁栄を誇った大内氏も、1551年第31代当主大内義隆は、家臣の陶(すえ)晴賢の謀反により自刃 義隆の辞世の句碑


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大内義隆を討った陶晴賢は、1555年厳島の戦いで毛利元就に敗れている


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龍福寺の本堂 屋根がとてもカッコ良い


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大内義興の騎馬像 大内義興は、大内氏の版図が最大となった時の第30代当主


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馬の顔が何とも凄くて良い 何で大内義興の騎馬像が、龍福寺にあるのだろう?


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イチョウの落ち葉の絨毯が素晴らしい


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この一本の巨木が落ち葉の絨毯を作った


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池泉の案内


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発掘された池泉


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石組井戸の案内


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確かに石で組まれているが、井戸は埋まっている


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山門越しに参道の紅葉を見る


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築山館跡 大内氏第13代当主・大内教弘は、大内氏館だけでは手狭となり、別邸・築山館を築く


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築地と呼ばれる大きな土塁


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盃状穴が刻まれた巨石の案内


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案内に性のシンボルとあるので、よくあるチンポコの石と思ったが違った


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大内氏遺跡・築山跡の案内 築山跡に、築山神社と八坂神社が建っている


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八坂神社 京都の八坂神社の分社?と思われる


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築山跡に建つ川村写真館 明治20年頃の建物


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瑠璃光寺


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瑠璃光寺にある国宝の五重塔を見るのを楽しみに来るが


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日本歴史公園100選なるものがあるとは知らなんだ


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国宝瑠璃光寺五重塔は1442年に建立 全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えらる 因みに日本三名塔の他2基は、奈良県の法隆寺と京都府の醍醐寺にある五重塔


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五重塔の説明看板の先に目に入った物は、巨大な建物を覆う工事足場


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萩は雪国なのか? 松の枝を縄で吊っている


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五重塔はまさかの大改修中に大ショック 令和8年3月まで工事中となっている


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残念だがどうしようもない 美しい庭園をバックに写真撮る


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五重塔は、応仁の乱で敗れた大内義弘を、弟の盛見が兄を弔うために建立している


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大内氏は、鎌倉時代からの山口(周防・長門)の守護大名 多くの殿様が色んな事をやっている


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室町時代・24代〜大内氏滅亡までの当主が、漫画で紹介されている これは分かり易いが、当主が多すぎて頭に残らない


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31代大内義隆は、家臣の陶晴賢の謀反で殺され、32代大内義長は毛利元就に攻められ自刃し、大内氏は滅亡している


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関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、仁保から瑠璃光寺を移築した、と説明あり


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五重塔の石塔があるが、これじゃやはり物足りない


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瑠璃光寺は無病息災の御利益がある寺のようだ


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本堂の中は、意外と金ビカとなっている


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知足の手水鉢の案内 何かの教えと思われるが、意味がさっぱり分からず


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意味不明のまま写真撮る


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本来なら鐘楼越しに、立派な五重塔が見える筈なのに、残念だ


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24代当主・大内弘世の騎馬像


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大内弘世は、京都の風情を好み、山口を京都にならって町づくりし、山口が西の京と言われるようになった、と説明あり


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最後に大内弘世の像と記念撮影して、本日の観光を終える


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今日の宿は、スーパーホテル山口湯田温泉


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このスーパーホテルは、天然温泉の白狐の湯がある


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部屋は狭いが、それでもソファーの寛ぎスペースがあるのが嬉しい


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ここは湯田温泉だが、ホテルからは温泉街は見えず そもそも湯田温泉に温泉街があるのか否かも分からず


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スーパーホテルの情報 ウエルカムバーもちゃんとある


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早速、白狐の湯に入る


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白狐の湯の由来と効能が書かれている


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入浴者が居なくなったので、浴槽をパチリ 湯舟はそんなに大きくないが、数人は全然問題なし とても良い湯でした


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昭和30年頃の湯田温泉の様子 結構流行っていたのを想像する


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ウエルカムバーの様子 大きな樽は赤・白ワイン ウイスキーや焼酎もあるがビールは無い


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晩飯の材料はスーパーで調達 オレの寿司は魚屋さんの寿司でネタが大きい 女房の寿司は普通のパック寿司 酒の摘みは中トロ刺身と広島カキ デザートは果物とおはぎ


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ワインと梅酒で乾杯しおいしく頂きました


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このスーパーホテルは、部屋への持ち込み禁止だが、ペットボトルに焼酎を入れて持ち帰り、食事後は部屋で晩酌を楽しむ