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宿の朝食は和食 バイキングで無いのが嬉しい
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朝から豪華な朝食を頂きました
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朝食中に山から日出
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旅館のロビー とても立派で感じ良い
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思えばもう二週間でクリスマス 時の経つ早さを痛感する
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今日は萩城下の周辺を、車で移動しながら観光する
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恵美須ヶ鼻造船所跡
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萩藩が1856年に設けた造船所の遺跡で、洋式軍艦・丙辰丸(へいしんまる)と庚申丸(こうしんまる)の2隻を建造している
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大きな石垣の堤防があるが、造船所とどう係わったのか、よく分からず
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石垣の堤防は中々凄い
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この塔は何だろう?
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造船所跡と言う事だが、平地に縄を引いて区割りがあるのみ
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庚申丸造船場の案内
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世界文化遺産に登録されているが、そんな大そうな物に見えない
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萩反射炉
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萩藩が海防強化のため、鉄製の大砲を造ろうとして築造した金属溶解炉だが、技術的にも費用的にも難しく断念した、と書かれている
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無料のタブレット貸出しあるが、全然役に立たなかった
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反射炉の煙突部分が残っている
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この穴で炊いて上の炉で鉄を溶かしたと思われるが、溶けた鉄をどう受けて、どう型に流して大砲を造ろうとしたのか、全然理解できない
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反射炉の説明あるが、今一理解出来ず 炊きで直接溶かすのではなくて、反射熱で溶かしているので、反射炉と言うようだが、反射の方が効率良いのだろうか?
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分からない事だらけだが、まあそれなりに楽しめた
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浜崎伝統的建造物群保存地区 浜崎は萩城下の港町として栄え、格子や虫籠窓の町家が連なる
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旧山村家住宅 自由に見学出来るが、今日・水曜日は休み
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旧山中家住宅 格子や虫籠窓が特徴とあったが、虫篭窓がどんなものか分からず
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中々良い景色 右の白壁の建屋は、旧山村家住宅
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旧萩藩御船倉の案内
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見事な構えの旧萩藩御船倉
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藩主の御座船を格納した船倉 当時はこの辺りまで海だったと知る
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旧小池家土蔵
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土蔵のすぐ近くまで松本川があり、港から荷揚げされた荷物をいったん保管するために使われていた
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鶴江の渡し よく見ると、鶴江の渡しと書かれている
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藩政時代には、松本川に架かる橋が近くになくて、渡し舟を利用していたのは分かるが、今でも渡し舟は営業している
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向こう岸に、小舟とオヤジが望遠鏡で覗いているのが見える 手を振ると渡しに来てくれるようだ
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松陰は、萩藩の貧しい下級武士・杉家の次男 この頃の下級武士は、貧しい百姓と同じだったようだ ※配置順ミス、4つ先の杉一家の紹介の後にあるべき写真
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松下村塾・松陰神社
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松陰神社周辺の観光スポット
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先ず吉田松陰歴史館に入館し、吉田松陰について学ぶ
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杉一家の紹介
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吉田松陰関係系図 松陰は吉田家に養子に入り、吉田家を継いでいる
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御膳講義
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松陰は、10歳の時に藩校・明倫館に先生とし出勤し、翌年藩主毛利敬親に講義し認められている 今10歳と言えば小学生のガキ、何とも凄い人だったようだ
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日本中を歩いて学んだ松陰
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確か大河ドラマ・八重の桜で、松陰が登場していたと思う 会津にも行っているんだ
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吉田松陰自賛肖像
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佐久間象山に入門
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佐久間象山は信州松代の藩士 象山も松陰も、安政の大獄で投獄され、処刑されている
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吉田松陰の像は、全国あちこちにあるようだ
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1853年ペリー率いる黒船が来航 象山か松陰か忘れたが、黒船に乗って密航しようとし失敗した、時代劇でそんな場面を見たような気がする
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下田踏海
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松陰が密航しようとして捕まっていた 乗艦までしたのに、残念だっただろう
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松陰は密航を自首して投獄されたとある 黙っておればよかったのにと思うのだが
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松陰の松下村塾
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松陰は、実家の杉家に幽閉されるが、近所の弟子が密かに学びに来るようになり、松下村塾を開いている
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松陰の妹・文が、久坂玄瑞に嫁いでいる
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松陰の最後
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1859年吉田松陰は30歳、獄内で処刑される
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山口出身の内閣総理大臣
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伊藤博文
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山県有朋
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桂太郎
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寺内正毅
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田中儀一
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岸信介
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佐藤栄作
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安倍晋三
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吉田松陰歴史館は、各場面を説明書きと人形で表していて、面白いし分かり易かった
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松下村塾の案内
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実家杉家宅地内の小屋を改造して、八畳の塾舎で始めるが、翌年十畳半を増築している
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吉田松陰と関係あった人達の写真か? 木戸孝允もいるので、全てが門弟でないと思う
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こちらの部屋が、最初に始めた八畳の塾舎
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奥の建屋が、増築した十畳半の部屋
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吉田松陰幽囚の旧宅の案内
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実家の杉家は、貧しい下級武士で、農民同様の暮らしをしていたのに、家は大きくて立派
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幽囚室の看板あり 確かに三畳半しかないが、幽閉されても塾をやっていたわけだから、出入りは自由だったのだろう
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手前が実家杉家で、奥が松下村塾 20m程しか離れていない
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松陰神社御由緒
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松陰神社は、明治40年、塾生・伊藤博文等によって創建されている
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吉田松陰は神様になった
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松陰神社のすぐ前に、松陰実家の杉家がある
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松門神社の案内
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松門神社は、松下村塾の門下生を祀るために、昭和30年に建てられている
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吉田捻麿誕生の碑 捻麿は、松陰門下の四天王と言われたが、1864年の池田屋事件で、新選組に襲われ24歳で死亡している
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伊藤博文旧宅
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伊藤博文は、言わずと知れた日本の初代内閣総理大臣
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伊藤博文の略年譜
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伊藤博文旧宅は、松下村塾から歩いて15分程の所にある
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伊藤博文が松下村塾に入門したのは17歳の時、ここから走って塾に通っていたのを想像する
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伊藤家も下級武士で貧しかったと思うが、中々立派な家
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上は博文の両親で、下は夫人梅子とあるので、奥さんなんでしょう
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土間の鎌が縁にくっついているのが、火事になりそうで気になる
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伊藤博文別邸の案内
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東京に建てた広大な別邸の一部を移築したもの
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昼食はコンビニのお握りと味噌汁 旅行の出費が大きいので、昼食は大節約で済ます
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東光寺
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東光寺は、萩藩主・毛利家の菩提寺 本堂内の金色の飾りが凄い
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萩藩藩主3代〜11代までの、奇数代藩主夫妻が葬られているのが不思議
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藩主夫妻の墓に向かって、石灯籠が並んでいる 何か理由でもあるのでしょうか
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5組の夫妻の墓碑に向かって、それぞれに石灯篭の列がある 石灯籠の景色だか、圧巻な眺め
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5組の藩主夫妻で、10の墓碑が並んでいる
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中央が、三代吉就夫妻の墓碑
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東光寺の駐車場からは、寺の裏口から入ることになり、あらためて三門を見る
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東光寺三門の案内
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三門は、東光寺の建設の121年後の1812年の建立
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三門から参道越しに本殿を見る
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東光寺鐘楼の案内
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鐘楼は、1694の建立 東光寺にある各建屋は、建立時期がバラバラなのも面白い
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東光寺の本堂の前で記念撮影
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本堂の屋根には鯱まである
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松陰誕生地
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松下村塾の所に杉家実家があったが、松陰はこの地で誕生している
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杉家の配置 家禄26石でこんな広い家が持てたとは不思議
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庭まである
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土地も広い
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高杉晋作草庵跡の碑 草庵とは何の事なんだろう? 晋作の生家は萩城下にあったので、誕生地とは違う思うが
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ここは市街地が一望できるビュースポットにもなっている
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吉田松陰先生銅像の案内
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銅像は、明治維新100年記念で建てられた ベリー艦隊を見つめている姿
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生誕地の直ぐ隣に、吉田松陰と門下生の墓所がある
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久坂玄瑞の墓
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高杉晋作の墓
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吉田松陰の墓と、義父・吉田大助の墓
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日本の志がここにあると書かれた旗が良い
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東光寺総門の案内
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東光寺散策では三門までしか行かなかったが、車で移動中総門の前を通ったので、ラッキーに写真撮れた
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総門越しに三門が見える
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平安古鍵曲
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平安古鍵曲は、昨日見た堀内鍵曲より、曲がりが多く見応えある
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萩の風物詩がここにもあり
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旧田中義一男爵別邸
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ちょっと覗くと、管理人が出て来て、ずっと案内してくれた よっぽど暇だったと思う
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田中義一は第26代内閣総理大臣になった人だが、軍人でもあったようだ 天皇の印が押された本物だと、管理人が自慢していた
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やっぱり総理大臣にもなった人の別邸、広くて立派
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庭も滅茶苦茶広い 別邸の中はかんきつ公園になっている
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管理人が、お土産にミカン4つくれた
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別邸の全景
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久坂玄瑞誕生地
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久坂玄瑞は、松下村塾の優等生だったが、やっていることは、英国公使館を焼討ち、外国船を砲撃、御所に鉄砲、等々無茶ばっかり 松陰に何を教わったのか?
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今日もあちこちいっぱい観光出来て大満足 これで今日の観光は終わり
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今日の宿泊は、湯免観光ホテル ゆめの郷
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湯免温泉は長門市にある 温泉と言っても、この宿があるだけと思われる
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今回の旅行で、一番高額(2人1泊2食で27千円)のホテル 寛げるスペースもあり、大いに気に入る
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和室まで付いている
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先ずは温泉につかる
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浴室は普通と言った感じ
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ソープ・シャンプーは良く効きそう
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風呂上がりのビールは最高 しかし晩飯までまだ2時間もあり、飲み過ぎないよう心掛ける
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楽しい晩飯タイム まずはビールで乾杯
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夕食メニューは、ふく会席スタンダード 山口に来たらふぐ食べなくちゃ
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ふぐの釜めしとふぐ鍋
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ふく一夜干しとむつみ豚の炙り焼き
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ふぐ入り茶碗蒸し ふぐづくしの料理に大満足
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ふぐの唐揚げ
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最後のデザート 何だったか忘れた
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