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宇利城 宇利城址専用の駐車場がある
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奥の山が宇利城址 ちょっと高そうだが、駐車場から城址まで30分と案内あり
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駐車場から5分程で宇利城入口に着く 城址の説明看板がある
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宇利城は、文明年間(1469〜1487)に今川方の熊谷重実が築城 松平清康の侵攻により1529年落城している
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以前訪城した時、畦道は雑草で覆われていて、蛇が心配で入れなかったのを思い出す 山城は冬に来るのが良い
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登城道は案内がいっぱいあり、迷う心配はない
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清康の叔父・松平右京亮親盛の墓がある
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三河平定を目指す松平清康は、宇利城主・熊谷実長と戦うが、伯父が討死する苦戦を強いられたようだ
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墓の直ぐ隣の大手道に、右京亮の戦死した場所の看板あり この辺りが主戦場だったと思われる
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姫御殿の曲輪下 高い切岸になっている
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姫御殿を廻り込んで本丸へ上がる
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本丸(左)と姫御殿(右)の間の堀切
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宇利の戦いの様子が書かれた看板
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大きな石の城址碑が嬉しい
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城址碑の隣に、熊谷備中守〇〇と刻まれた石碑あるが、何者なのか分からず
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本丸は広い削平地 今の自分の体力では、案内の倍ほどかかるのが普通なのに、駐車場から本丸まで案内通り30分で上がれた
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本丸からの展望
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姫御殿の曲輪 熊谷の姫さんの御殿が建っていたと思われるが?
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本丸から納所平への道はロープで通行止め 杉の木がキレイに手入れされている
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姫御殿の下から納所平への道があるが、急斜面にかかる狭い道で、滑落の危険があり引き返す
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新城城 城跡は新城小学校が建ち、小学校の入口門は城構えになっている
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小学校のグラウンドが本丸跡 この小学校、最近では珍しく全然閉鎖されていなくて、誰でも自由に入れる
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新城城が、新城の地名の発祥になっていて、立派な石碑まである
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新城小学校は明治5年に開校している
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当時の小学校校舎が残っている
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グラウンドの片隅に大きな土塁が残っていて、土塁の上に城址碑と城址の説明看板がある
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城址碑と思うが、字が読めない
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新城城は、1575年奥平信昌によって築かれている
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土塁の上からの眺め
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大善寺
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家康の娘・亀姫の墓があるので、見に立寄る
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大善寺の立派な本堂 亀姫の墓の道案内が立っている
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亀姫は、長篠の戦で大功のあった奥平信昌に嫁いでいる
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道の駅・鳳来三河三石で昼食
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徳川家康のにわとり伝説がある
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寂れた小さな道の駅で食堂は営業していない 五平餅とみたらし団子が昼食となる
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三河の五平餅は丸い板状だと思っていたが、同じ三河の新城は団子状の五平餅
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道の駅の直ぐ隣の満光寺が、ニワトリ伝説の舞台になっている
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マンガでもニワトリ伝説を紹介している
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柿本城 道の駅から満光寺の境内を通って登城道がある
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満光寺の三門は新城市の指定史跡 石段と古びた山門の感じが中々良い
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満光寺の庭園が立派なようだが、外からは見れない 本堂内から見る案内があった
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満光寺から延びる登城道 かなり急坂だが距離は短い 道の駅から城址まで15分の案内あり
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柿本城のぼり旗に、井伊谷三人衆・鈴木重時の居城、と書かれている
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先に登った宇利城より短いを救いに、急坂を頑張って登る
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本丸下の曲輪に、防備の柵が作られている
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本丸への虎口 右は出丸の案内
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柿本城は、鈴木長門守重勝が、1568年家康の命により築城 何年か前の大河ドラマ・おんな城主直虎、の舞台にもなっていたと思う
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本丸入口の木の柵がカッコ良い
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本丸から下の竪堀を見る 最初は大き過ぎて自然の地形かと思ったが、本丸と出丸を分ける竪堀だと思い直す
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本丸は中々広い削平地 道の駅から案内通り15分で上がれたのが嬉しい
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立派な城址碑は、鈴木長門守重勝の城址、と刻まれている
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本丸から三の丸へ降りる
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三の丸と二の丸の間の土塁
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二の丸も広い削平地だが、看板が立つだけで城郭の面影は全然ない
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二の丸から本丸へ入る道
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出丸で小休止
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出丸から本丸を見る
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柿本城は、山城の遺構としては大したこと無いが、防備の木の柵が感じ良くて気に入る
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古宮城 3度目の訪城になるが、凄い遺構に大感動した覚えがあり、今回もワクワクして来る
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古宮城は、信玄が三河侵攻の為に築いた城 この看板にある配置図の番号で、以降の写真の位置を表現する
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白鳥神社の横から城跡へ入る
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白鳥神社の御神木の杉の木が何とも凄い
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@東曲輪の南下にある空堀
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B虎口 土塁の堀切が高くてカッコ良い
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堀切は高さを示すために万歳のポーズで写真撮りしてしまう
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@東曲輪の主郭 古宮城は東と西と2つ主郭を備えている
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A櫓台 東曲輪の南角にある
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@東曲輪は上段と下段があり、間を高い土塁で仕切っている
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A櫓台から西曲輪に降りる 西曲輪と東曲輪を仕切るE大堀切
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E大堀切の南側
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E大堀切の北側 この大堀切は、城址の小山を南端から北端まで、完全に分離している
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C西曲輪の主郭 ここにD丸馬出の看板も立っているが、これは間違と思う 丸馬出は西曲輪の南西下の筈
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C西曲輪を取り囲む土塁も高くてとても見栄えが良い
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C西曲輪も上段と下段に分かれている
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C西曲輪の上段・下段を分けている土塁
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C西曲輪の北下の空堀
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C西曲輪の北下の空堀を歩く 西曲輪の高い切岸が何とも凄い
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空堀を西周りに歩くと、D丸馬出に出る C西曲輪の所に丸馬出の看板あるが、ここに立て替えて欲しいものだ
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D丸馬出から、空堀の土塁の上を通って戻る
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深い空堀と高い土塁があちこちに現れ、凄い遺構に興奮してしまう
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E大堀切の北側の土塁に上がる
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北下から西曲輪を見上げる 何段にもなって西曲輪が構成しているのが分かる
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北下から東曲輪を見上げる 東曲輪も何段も曲輪が重なって出来ている
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E大堀切を北側から見る
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@東曲輪の北側を取り巻く堀と土塁 この堀と土塁はぐるっと東曲輪の下を取り巻いている
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H牢屋横から東曲輪に延びる竪堀
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H牢屋 捕虜幽閉地と書かれている
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E牢屋から東曲輪へ上がるのは、前の写真の竪堀と土塁の急勾配で、簡単には上がれない
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E牢屋から@東曲輪を見上げる 高い切岸となっている
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E牢屋から、一番低そうな切岸を無理やり上がる かなり危険が伴ったが、何とか無事に上がれた
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@東曲輪の北東から下の堀と土塁の眺め
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最初に入ったB虎口 @東曲輪側から写す
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@東曲輪の東端にあるB虎口から出る
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最初に見た@東曲輪の南下の堀の土塁を歩いて帰る 古宮城の散策は感動と興奮の連続で、とても楽しかった
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