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山城歩きのベストシーズンは冬 1泊2日で遠江の山城歩きに出る 新東名の岡崎SAで朝食
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うどんでも食べようと思ったが、きつねうどんが850円もする ケチってコンビニおにぎりの朝食になる
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諏訪原城 ビジターセンターの駐車場に車を止めれる
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ビジターセンタは10時開館 9時に到着したので、先に城跡へ行こうとしたら、職員が内緒にしておいてと言って、開けてくれた
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諏訪原城は丸馬出が有名な城址
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迫力あるジオラマ模型で、丸馬出の様子が良く分かる
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模型だが何とも凄い
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山城好きの春風亭昇太がいた 彼が城番組で諏訪原城を紹介しているのを見たことがある
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諏訪原城には、大小7つもの丸馬出がある 馬出は、武田氏が得意とする城造りと思っていたが
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武田勝頼が築いたのは、本曲輪・二の曲輪部分で、堀と馬出は後に家康が築いた物、と職員が得意になって説明してくれた
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諏訪原城の年表 1574年に勝頼が築城すねが、1575年には家康が接収している
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家康は武田から学び、城造りで馬出を採用したようだ
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大手南外堀
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二の曲輪大手馬出の外堀 迫力満点
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大手北外堀
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二の曲輪大手馬出の外堀 深い堀が丸馬出をぐるっと取り巻いている
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深くて長い堀の見栄えが、何とも良い
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諏訪原城は、国指定史跡で続日本100名城
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二の曲輪中馬出 丸馬出の様子が良く分かる
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丸い馬出と馬出を囲む外堀の景色が、とても素晴らしい
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二の曲輪中馬出に立つ
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二の曲輪北馬出から二の曲輪へ入る道の堀切 木の橋が架かっているが、有事の際は、橋を落として通行を防ぐと思われる
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二の曲輪北馬出
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二の曲輪北馬出の外堀
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門には隙間がある 槍で突かれても門を閉めれるようになっていると、ビジターセンターの職員が言っていた
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二の曲輪北馬出の説明書き
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二の曲輪北馬出のみ門がある
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深くて大きな堀を手作業で掘る 兵隊は戦うよりも土木作業に苦労したと思われる
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二の曲輪北馬出から、木橋が架かる堀切を通って、二の曲輪へ
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二の曲輪へ入る土橋 何故か舗装されている
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土橋からの眺め 左が二の曲輪で右は二の曲輪中馬出 堀の景色が何とも見応えあり
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土橋を通って二の曲輪へ入る 二の曲輪は南北に長く延びていて、ここは北の部分
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仕切り土塁の案内 南北に延びる二の曲輪を土塁で仕切っている
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二の曲輪から本曲輪へ入る土橋
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二の曲輪と本曲輪の間の内堀
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そんなに高い山城でないと思うが、本曲輪の北は凄い急斜面
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本曲輪東からの眺め 島田市街と大井川が見える
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本曲輪南から二の曲輪へ降りる
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本曲輪の南側斜面は凄く高い切岸
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カンカン井戸なるものがある
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井戸は水は枯れているが、石組で崩れないようになっている
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カンカン井戸から北の眺め 左が二の曲輪で右が本曲輪、その間を内堀が続いている
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本曲輪の南下から、水の手曲輪へ降りる道
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凄く深い堀切の道 両側の高さを示すためバンザイのポーズ
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ここが水の手曲輪か不明だが、池の様なたまり場に見えるので、ここを水の手曲輪として引き返す
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本曲輪から二の曲輪への上がり道 二の曲輪の中央位置へ上がる
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二の曲輪と二の曲輪大手馬出の間の土橋 とてもキレイで見応えある土橋
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土橋から南を見る その先に二の曲輪南馬出が見える
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二の曲輪南馬出へ入る土橋
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二の曲輪南馬出の案内
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二の曲輪南馬出の出口の土橋
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二の曲輪南馬出に立つ
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二の曲輪東内馬出 二の曲輪の南は小さな馬出が入り組んでいて、とても分かり難い
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諏訪神社に古い石の城址碑がある
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諏訪神社は安産祈願の神社
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最後に、二の曲輪大手馬出の土橋で記念撮影
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土橋から堀下へ降りる道があるので、ちょっと危険だったが降りる 深い堀で両側の高さが凄くて、とても良い気分になれる
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諏訪原城は本当に素晴らしい山城 城好きでない人でも訪れたら、きっと城好きになってしまうでしょう
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しっかり歩いたので、安いカップお汁粉だが、とても美味しかった
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勝間田城 トイレも備えた駐車場がある
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勝間田氏は、平安末期から室町中期まで約340年間この地方を領有した豪族
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ここはお茶で有名な牧之原 立派な茶畑が広がっている
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駐車場から歩いて5分程の所に城址碑がある この辺りの茶畑が出曲輪
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三の曲輪 ここまで10分もかからなかった
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三の曲輪から二の曲輪の入口を見る 土塁と堀切の虎口の眺めがとても良い
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土塁が高くてカッコ良い
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二の曲輪 建物跡が表示されている 二の曲輪は家臣達の屋敷が建っていたと思われる
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保元の乱では、勝間田氏は横地氏と共に源義家の下で活躍 応仁の乱では今川氏と対立し、今川義忠に攻められ1476年に横地城と共に落城
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三段のボコボコした山は東尾根曲輪
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本曲輪手前の堀切
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見応えある大きな堀切
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堀切を駆け上がるカモシカを見た 凄い、こんな所にもいるんだ
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北尾根曲輪から本曲輪の高い切岸を見る
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本曲輪の虎口
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南北朝期の元弘の乱(1331年)には、河内の赤坂城、千早城の攻防に一族が攻撃側と守備側の両陣営に分かれて戦っている
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本曲輪に高い石の城址碑がある
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本曲輪の高い土塁
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本曲輪の下から本曲輪を見上げる
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東尾根曲輪に上がる
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尾根が切られて段々の小山になっている
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堀切下へ降りる狭い道がある 実は、足を滑らせ転び、滑落しそうになったが、何とか堪えて堀切下へ降りれた
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怖かったが、もう一つ奥の山へも挑戦する
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何とか無事に立てて良かったが、あまり無理してはダメだと反省も
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東尾根曲輪から二の曲輪を見る 先ほどカモシカは、左の石垣の所を駆け上がり、奥の森へ走って行った
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木をくり貫いたベンチ 晴れていれば富士山が見れるのでは?
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昼食も、節約でコンビニのおにぎりで済ますが、あさりの味噌汁がとても旨かった
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横地城 ここもトイレ付きの大きな駐車場が整備されている
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駐車場から千畳敷へ上がり、横地神社(西の城)−中の城−東の城(本丸)、と歩く
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千畳敷への上がり道は、大きな竪堀となっている
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結構急坂でキツイ登りだが、距離は短い
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千畳敷までは10分程で着く 木の城址碑が立っている
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横地氏は、平安時代(11世紀中頃)に源義家と相良の土豪相良太郎左衛門光頼との娘との間に生まれた子・横地太郎家長に始まる
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横地神社が西の城
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土塁壕跡とあるが、西の城を囲む腰曲輪
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2段の腰曲輪が西の城を囲っている
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神社への上がり階段
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西の城は絶壁の上にある
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横地城址の説明看板
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西の城の東側の大きな竪堀が凄い
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中の城 兵器や兵糧の蔵があった
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中の城の堀切
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本丸の入口 本丸を金寿城と言うようだ 右は一騎駆の案内
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本丸の虎口
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本丸に城址碑が立っている
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本丸を囲む腰曲輪
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本丸にベンチが無い 誰も来ないようなので、虎口に座って小休止
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本丸の北側を降りると井戸跡の標識あるが、井戸が無い
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井戸跡から本丸を見上げる 段々の腰曲輪の上に本丸があるのが良く分かる
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本丸北側の尾根の、大きな堀切
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下から見上げると、本丸の景色がとても良い
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長く突き出た曲輪があるが、名前が分からず
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ギョ! とする名前の谷がある
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捕えた敵のアソコを切り落とす処刑をイメージするが、名前の由来は、金の玉を谷に落とし、谷を駆け下りて金の玉を奪い合う、戦闘訓練から付いたそうだ
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高天神城 南口駐車場からが大手道になる
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南口駐車場からの大手道入口
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上の北口駐車場からが搦手道になる
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南口から入って数分で、大手門跡に着く
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大手門跡の直ぐ上が、着到櫓跡 武田方が攻めてきた時、鐘を鳴らして戦闘準備を知らせる場所、と書かれている
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大手道は、キツい木の階段の道
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三の丸まで15分程で着く
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三の丸の下は凄い絶壁
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三の丸に休憩小屋がある
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土塁跡の案内あるが、三の丸の土塁はそう大したことない
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本丸への上がる階段
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本丸の虎口 もっとかかると思ったが、南口駐車場から25分で登城出来た
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高天神城は国指定史跡なので、立派な石の城址碑を期待したが、木の標識があるのみ
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本丸の続きに御前曲輪がある この写真看板は、城代の小笠原与八郎長忠と妻
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高天神城には6つの砦があり、その一つの火ケ峰砦が見える
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中央の丸い小山が火ケ峰砦 名前から烽火台を想像する
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高天神城は、東峰に本丸と御前曲輪、西峰に高天神社の西の丸と二の丸がある
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1568年今川から徳川の城になり、1571年信玄が攻めるが落ちず、1574年勝頼に攻められら落城 その後また家康が取り戻している
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西峰への入口
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井戸曲輪に、かな井戸がある
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屋白稲荷の伝説
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小さな稲荷さんに、小さな白狐がいる
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長くて見応えある階段 この上に高天神社がある
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高天神社境内が、西の丸跡
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境内の横の堀切
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今回の山城巡りの旅の安全を祈願する
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本殿周りは高い土塁があり、神社が城郭だったのが良く分かる
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西の丸から馬場へ降りる
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西の丸と馬場の間の堀切 深い堀切で見栄えも良い
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馬場の名前から、馬小屋の曲輪と思うが、そうじゃないそうだ
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ハッキリ分からないが、左に見える丘の端が、御前崎と思われる
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甚五郎の抜け道 甚五郎は、本国の勝頼に落城を告げる為に、この崖を馬で駆け下りた
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犬も猿も戻る崖路を、馬で駆け下りたとは凄い
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御前崎方面の景色 海までは見えず
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二の丸を降りて袖曲輪へ行く道
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尾根に大きな堀切が見える
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袖曲輪
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袖曲輪の直ぐ隣りが二の丸 これで高天神城の山歩きは終了 足は疲れ棒になったが、とても楽しかった
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北口の搦手道を上がって来ると、ここ西峰の上り口に出る
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北口の搦手道入口に立寄る
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大手道からは、25分で本丸へ登城出来たが、搦手道はどれ程かかるだろうか?
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大手道より、搦手道の方が広くて立派に見える
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宿泊ホテルのくれたけイン 掛川 何とも細長いビルに唖然となる
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格安のホテル 1泊朝食付いて2人で6840円 じゃらんネットのポイントとクーポンが6800円分あり、支払いは40円
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シングルペット2つで部屋はいっぱいだが、値段が値段だけに文句は言えない
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ビーフカレーのサービスあるが、無くなり次第終了 20合用意しているそうだ
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何種類も酒があるが、どれか一種類ワンカップのサービス
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17時サービス開始 最初にビーフカレーを貰う
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ワンカップは、私は清酒で女房は生ビール
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カレーが食べれるか分からなかったので、スーパーでパック寿司を買って来るが、カレーで腹いっぱいになる とても美味しいビーフカレーだった
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