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紅葉を期待して、明智城と大正村へ行く
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下ケ淵のかえで 恵那市明智町にある紅葉スポット
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下ケ淵のかえでの紅葉は、始まり出したところ 見頃は一週間程先と思われる
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川沿いに多くのモミジがあるが、赤はまだまばら
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川越の観賞で、木の下に行けないのがたるい
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見事に赤くなったモミジも所々にあるのが嬉しい
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明智川の清流が感じ良い
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朝日に輝けばもっとキレイと思うが、今日はあいにくの曇り空
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山が真っ赤に染まるまではいかないが、それなりにキレイな紅葉を楽しめた
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千畳敷公園 トイレもある無料大駐車場あり
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落合砦、千畳敷砦、多羅砦、土岐明智城と色んな名称があり、こんがらかる 統一し名称にして欲しいものだ
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光秀産湯の井戸 可児市にも明智城があり、光秀の出生地は明確になっていない
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千畳敷公園の紅葉も期待したが、全然今一でした
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本丸への上り口 土岐明智城の旗があちこちに立っているが、2020年の大河ドラマ・麒麟がくるの時、整備されたのではと思う
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本丸にある物見台?
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紅葉も見頃になればキレイと思うが、今はまだこんな感じ
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本丸の削平地
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本丸下は段々の小さな曲輪跡が見える
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出丸からの眺望 天正2年織田VS武田の戦いの案内がある この戦いは勝頼が勝利している
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明智の町並が良く見える
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大きな弘法大師が迎えてくれる
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写真中央の寺が龍護寺 その左側の山が明智城址
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ススキ越しに明智の町を写す 中々良い感じで撮れた
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モミジでは無いが、赤い木があると嬉しくなる
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赤い木の上に立つ大きな緑の木が印象的で撮る
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大正村と明智城
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明智城の案内 明智遠山氏代々の居城とある 光秀は土岐明智氏の出であり、出生地の食い違いを感じる
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大正村には無料の大駐車場がある
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大正村浪漫亭の建屋が凄い 先ずは明智城を登城し、大正村の観光はその後にする 浪漫亭から城址までは1.3kmの案内あり
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大正路地を通る
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大正時代の面影を感じることが出来る
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明智城は別名が白鷹城 2つのル−トがあり、距離が20m短い左のルートを行く
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大きな冠木門がある ここに明智陣屋があったようだ
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遠山氏は関ケ原の戦い後この地を拝領し、江戸時代の一国一城で明智城を廃してここに陣屋を構えた、と書かれている
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いよいよ山道で、本丸までは470m 浪漫亭で1.3kmの案内を見た時は、登城出来るか心配したが、あまり疲れることなくここまで来ている
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土塁の案内 案内が各所にありとても有難い
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手入れされ真っ直ぐ伸びる杉林の登城道が感じ良い
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大手道東砦の案内あるが、登城道があるだけで全然砦らしくない
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枡形の案内あるが、登城道は大きくカーブしているのみ
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本丸の道から外れて畝状竪堀群へ この看板で畝状竪堀群は150m先にあると、大きな勘違いする 実際はここから150mの間が畝状竪堀群だった
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畝状竪堀群の看板がある所に、惚れ惚れする大きな堀切あり
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看板がある所から、搦手道に畝状に竪堀が連なっている
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畝と言うと畑の畝を思うが、一つ一つの竪堀が大き過ぎて、畑の畝の様には見えない
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横堀と畝状竪堀群の看板 搦手道と違う方向にも竪堀群があり、そちらも見に行くが
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標識が谷道を降りる方向を向いていたので、歩き難い谷道を降りるが竪堀群は無く、陸軍兵士の墓地に出る
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標識に偽りありと腹立たしいが、引き返す他なし
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本丸へ上がる道から外れた所が、もう一つの畝状竪堀群だと知る
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この標識が、谷道を降りる方向に向いており、”X”を記入したくなる
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本丸下の曲輪の虎口にある大きな堀切も中々カッコ良い
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堀切と曲輪の案内看板 以前にも訪城しているが、こんなに案内看板無かったと思う これもやはり2020年の大河ドラマで整備されたのだろう
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大きな堀切の下に立ち、写真撮るのが楽しい
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帯曲輪と枡形虎口の案内看板
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本丸下を取り巻く帯曲輪
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出丸から本丸への上り口
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大正ロマン館への降り道 下は貯水池で看板がある
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二の丸への上り口
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二の丸から本丸へ上がる虎口
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本丸へ到着 現在発掘調査が行われている
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明智城の縄張り図 大きな堀切と畝状竪堀群の遺構が素晴らしかった
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浪漫亭から丁度1時間かかったが、あちこち見ながらゆっくり登ったので、そんなにえらく無かった
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二の丸に下りて、大福饅頭他を食べながら小休止
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モミジがいっぱいあり、紅葉の絶景が楽しめると思うがまだ緑一色 ここの紅葉の見ごろは、12月になってからだと思われる
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出丸へ行くと発掘調査をやっていた 発掘調査は、大地をちょこちょこ削る大変な作業だ
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ちょうど何かを作業員が見つける 錆びた五円玉に見えたが、戦国or江戸時代の銭の様だ
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出丸の案内看板 猿戻しの事が書かれている
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切岸・猿戻しの看板 確かに絶壁だが猿なら簡単に上がるのでは、と思えてならない
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帰りは大正ロマン館への道を降りる
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貯水池の案内看板 2つの池で水をろ過してキレイにしている
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確かに2つの窪みがあるが、これでどうしてろ過出来たのか良く分からない
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案内無いがロマン館へ下りる道にも、畝状竪堀群らしき遺構がある
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大きな竪堀が谷へ落ちている
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大竪堀の看板の所にも、見事な堀切があり
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明智光秀公学問所/天神神社の案内看板
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天神様だから菅原道真を祀っているが、とても小さな神社
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ここは東海自然歩道の恵那コース 帰って調べると2008年9月に歩いている
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旧三宅家の案内 三宅家は旗本遠山氏の家来
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見事な茅葺の家 旧三宅家の看板を見る前は、地元の大家さんの家と思った
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堂々とした造りの大正ロマン館
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大正村初代村長の高峰三枝子さんの銅像
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初代議長の栃錦の銅像 栃錦の議長の役目は何だったのだろう?
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栃若時代を作った栃錦 顔は不細工だった記憶があるが、良い顔で造られている
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ロマン館の前に光秀もいた 明智は光秀一色になっている
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大正村の二代目村長の司葉子さんの記念館 司葉子を知らないが、キレイな女優だと女房は言う
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龍護寺に光秀の墓がある 光秀は山崎の戦いで討たれているので、遺灰は無い墓と思われる
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光秀と明智遠山氏と土岐明智氏の関係が、複雑で全然理解出来ない
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山門入り口に、ひび割れした光秀の供養塔がある、と説明書きあるが、それらしき塔は見つけれず
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何の仏様か? いろんな顔・ポーズの石仏がいる
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龍護寺は遠山氏の菩提寺 明智光秀との関係は何なんだろう?
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龍護寺の境内に達磨堂がある
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遠山氏歴代の墓所の案内
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何時の12月22日か分からないが、ここで熊が出没したようだ
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遠山影行の墓碑 年代が刻まれているが読めず
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この祠は遠山の金さんを祀っている、と案内あり
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この観音菩薩像の説明あるが、熊出没注意の張り紙で隠れていて、誰の菩薩か分からない
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熊笹に覆われている 何処かに熊が潜んでいるかも
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明智八王子神社に麒麟の彫刻があるようだ
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明智八王子神社の由緒書 明智遠山氏は徳川将軍家とも繋がりがある
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八王子とは天照大神の8人の子供のことだと知る
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光秀お手植えの楓があり 木はそうとう傷んでいるが頑張って葉をつけている 紅葉はまだちょっと早い
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明智八王子神社の唐門と、まわりの大木の景色が中々良い
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明智八王子神社の正面の参拝階段は、とても急勾配で長い
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明智鉄道の明智駅を見物
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明智鉄道のゆるキャラは機関車
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車両は一両編成のワンマンカ−
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明智駅の改札口 駅員はいるが、切符は買わずに自由に出入り出来る のんびりした田舎駅が何とも良い
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大正浪漫亭で昼食 2階に和食の食堂あるが、混んでいるし高かったので、1階の喫茶店で
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オムライスはコ−ヒ−も付いて1100円
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とても美味しいオムライスでした
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大正村役場を見物 建物は明治33年建築で、昭和32年まで明智町役場として使われていた
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三代目村長の竹下景子さん、美しいが年寄りになって来た 最近はパンパ−スのCMに出演している
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二代目村長の司葉子さん 美しい女優さんだった
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レンガ造りの十六銀行 レトロ風だが造りは新しそう
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通信資料館は自由に見物出来る
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郵便物の運搬 明治が馬車は分かるが、大正時代は自動車になっているのに驚く
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女工さんが、一生懸命プラグを差し替え、電話交換している姿が想像される
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大正村資料館は有料 大正村に4つの有料館があるが、一つの入館は400円で、4つの入館は700円だが、平日は何れか1館は休館している
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橋本何とかという人が設立した、銀行の蔵が資料館になっている
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何室かに分かれて、大正時代の物がごちゃごちゃと展示されている
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小学校1年生の教科書 サイタ サイタ サクラガ サイタ おっかさんが良く歌っていた、と女房が言う
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蓄音機のラッパ こんなけ並ぶと壮観
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1877年メリ−さんの羊から、蓄音機の歴史が始まったとある 横のビリタ−の犬、昔よく目にした記憶がある
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大正時代の名優 見たことは無いが名前は聞いた事がある
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分からない物が多いが、見ているだけで楽しい
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大正時代り新聞に、性教育の記事が載っているのに驚く
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橋本氏の本家が大正の館となっていて、見物できる
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さすが銀行を創設した大富豪 マイ人力車まであったようだ
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大正時代にタイプライタ−がある、と思ったが、金銭何とかとあるので、レジ機器の様だ
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帳場に電話ボックスまである 大正村見物は、色々な大正文化に接しれて、中々面白い
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資料館の休憩室で一休み
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休憩室にも憧れの竹下景子さんがいた
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明智には白い狸がいた様だ
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