治療経過・入院生活

主治医 藤田医科大学病院:シバタ先生 辻村外科病院:ハヤカワ先生

☆7.8 骨折、入院
☆7.14 手術
☆〜7.26 藤田医科大学病院の入院生活
☆7.26〜9.1 辻村外科病院の入院生活
☆9.2 感染症の再手術
☆9.1〜9.30 再度の藤田医科大学病院の入院生活
☆9.30〜12.8 再度の辻村外科病院の入院生活
☆12.8〜 退院、家での骨折生活
☆7.5 完治

☆7.8 骨折、入院

滑って転んだ場所
骨折のレントゲン写真
藤田医科大学病院

◆事故時女房は外出中 隣の人に救急車を呼んで貰い、藤田医科大学病院へ そのまま入院となる

◆手術までの応急処置は、足を引っ張りねじり、折れた部分の骨合わせ 耐えれない激痛に悲鳴を上げる

◆足裏からふくらはぎに添え木を当て、包帯を巻いて固定し、手術日を待つ


☆7.14 手術

手術後のレントゲン写真

◆全身麻酔は点滴で数秒で意識がなくなる

◆手術は骨折部分に金属のプレートを当て、上下の骨にボルトで締め付け骨を固定する

◆腓骨は単純骨折だが、脛骨は粉砕した複雑骨折で、手術は難航し5時間程もかかる

◆麻酔が切れると、息苦しさと傷口の激痛で、ひと晩苦しい時を過す

◆導尿されオシッコは垂れ流しで袋に溜まる 念の為にオムツまでさせられる


☆〜7.26 藤田医科大学病院の入院生活

◆手術後の先生の言葉、「脚は6〜8週でつけれる」を信じて、落ち込む事無く入院生活を過ごす

◆脚は膝から下の添え木で固定されているが、動かすことは出来て、車椅子の移動も問題なし

◆病室の狭いベットでは、寝返りも難儀で中々寝付けず、寝不足が続くが、諦めて過ごすしかない

◆日一回40分のリハビリ、若くてそれなりにキレイな先生(ミナミ)が担当で、リハビリが一番の生きがいとなる

◆院内はフリ─WiFiがあり、電源コンセントも自由に使え、パソコンを持ち込めば暇つぶし出来ると思うが、暫くの辛抱でありパソコン無しで過ごす

◆当然、病院食は大した物は出ないが、我慢して過ごし、体重90キロ切りを目標にする

◆入院病棟のB棟6階には給水器があり、ペットボトルを買わずに済む 日5〜6回500ミリのポットに、お茶汲みするのが日課となる

◆コロナ渦で面会は禁止 家族でも病室に入れず、着替え等の荷物は、看護師を通しての受け渡しとなる ラウンジでの面会も原則禁止だが、ここで会うのは黙認され、会って喋る事は出来る

◆大学病院は長居が出来ないようで、早々にリハビリ病院(辻村外科病院)への転院が決まる


☆7.26〜9.1 辻村外科病院の入院生活

辻村病院病棟3階ベランダより
手術後1ヶ月の傷口
セ─フスの様子

◆女房はペ─パ─ドライバーで運転しない 藤田医科大学病院から辻村外科病院までは、5キロ程だが、介護タクシーで移動すると8千円かかった

◆転院後早々の7.27に抜糸 少しは痛いかと緊張するが、何も感じなくて、傷口辺りは感覚がマヒしてる

◆抜糸後は、プレ─トで骨が固定されているからだと思うが、添え木が無くなり、傷口にガ─ゼと包帯だけで、脚は非常に身軽になる

◆脚の内側は、くるぶしと少し上の2ヶ所を切っており、くるぶしの方からプレ─トを当て、骨と筋肉の間に押し込んで入れたと思われ、ゾッとする

◆超音波で骨の固まりを促すセ─フスと言う機器があり、毎日やるのが日課となる セ─フスは脛骨と腓骨の両方で計40分かかり、その間動けないのが中々辛い

◆大学病院と比較しても詮無い事だが、辻村病院の劣っているのが目立つ ・広いラウンジがない・フリ─WiFiがない・シャワーは週2回のみ・給水器がない・ジャ─にお茶はあるが、2リットルボトルで汲んでいたら、汲み過ぎだと看護師に叱られた 日に500mm一杯で不足は買って飲め、と何とも酷いことを言われた その後は500ミリのボトルで何度も汲むことになる

◆藤田の看護師は未婚の若い子?がいっぱいいたが、辻村は中年のおばさん?と言った感じの看護師が、日2〜3人程で(夜勤は1人)でまわしている 入院患者の規模が違うので何とも言えないが、辻村の方が看護師1人当たりの患者数は多いような気がする どちらの看護師も、老人を面倒見ているので、職業病なのか大きな声の人ばかりであり、普通の聴力の患者にはとてもうるさく感じてしまう

◆リハビリは、一回1時間で日2回ある 添え木で脚が固定されていた為、ふくらはぎから足裏へ続く筋肉が硬くなっていて、そこを揉みほぐすのがリハビリのメインとなるが、悲鳴をあげたくなる痛さである 私を担当するリハリビの先生は男女4人程(シミズ、シモゾノ、ニワ、イイジマ)いて、皆さん未婚で20歳台の若い人ばかり

◆2回目のコロナワクチンを打ち損ねていたが、辻村で打つことが出来て助かった

◆入院中にオリンピックが開催となるが、テレビは見ない NHKプラスと言うアプリがあり、NHKの番組は放送後まで見れるし、ネット上にハイライト動画も一杯あり、テレビ無しでも十分オリンピックを楽しめた 因みにテレビは有料で、千円で16時間見れる 今年3月にスマホを1年間無料の回線に切り替えていて、8月は30ギガ以上使用したが、無料であり大変助かった

◆月曜にレントゲンを撮り、火曜は先生の回診がある 待望の術後6週の回診時、骨の具合を尋ねると、先生の返事は”まだまだ 全然”のつれない一言に、ガックリするが、気を取り直して術後8週を待つ

◆8月の中頃、滑って転んで膝の骨を折ったおばさんが、隣の病室に入って来る 同じ境遇で話しが合い、彼女との喋りが入院生活の励みや楽しみとなる

◆8.30朝から熱が出て昼には38.9度の高熱となる 翌日先生に呼ばれ、足首に針を刺し液を取り感染症の検査する 結果は感染症だったようで、翌日藤田病院へ転院、翌々日感染症の再手術となり、死にたい程のショックで大いに落ち込む


☆9.2 感染症の再手術

再手術後のレントゲン写真
取り出した脛骨側のプレ─ト
再手術後はギブスで固定
再手術の切口

◆感染症になったのか、疑いがあるだけなのか、明確な説明はなかったと思うが、手術は決定済であり、覚悟して受けるしかない

◆手術内容は、脛骨側のプレ─トの取り除きと洗浄で、最初の手術と同じ所を切りひらくく

◆今回は全身麻酔でなく下半身麻酔 麻酔は背中をまるめた姿勢で、脊髄に注射するが、これが堪らなく痛く、最初は背が伸びて麻酔液が上手く入らず失敗する 2人に押さえられながら、再度の注射に必死に耐えて麻酔は終わる

◆意識はしっかりあるのに、腰から下の感覚が全然無くなり、脚を動かそうとしても、脚が何処にあるか分からない、とても不思議な感じである

◆胸の所に仕切りが置かれ、手術の様子は見えないが、医師の声は全て聴こえる 今から切る、とか言うので緊張するが、切られているどころか、触られている感覚もしない

◆麻酔の痛さや、手術中の様子も知りたくないし、全身麻酔の方が余程か良いと思う 下半身麻酔も全身麻酔と同じで、一晩は動けず苦しい思いをする

◆取り除いたプレ─トは記念に貰える レントゲンである程度イメージしていたが、実際の現物を見ると、こんな金属が身体の中に入っていたんだと思うとゾッとなる 金属はチタンで、建築等で柱を固定するプレ─トとまるで同じである 骨に打ち込まれたホルトも何とも凄過ぎて、唖然となるばかり

◆手術後は、脚はギブスで固定され、最初の手術から2ヶ月も経過しているのに、最初より痛々しい状態になり、ガクッとうなだれてしまう

◆ギブスからクダが伸びて赤い袋に繋がっている これは骨の回りの血液を吸い取るもので、感染症対策の一つと思われる 2日後にクダを引き抜くが、クダは骨に沿って深く入っていて、かなり痛い思いをする

◆手術後の切り傷を見ると、上はまあまあ良いが、くるぶしあたりはただれており、ちょっと心配になる


☆9.1〜9.30 再度の藤田医科大学病院の入院生活

◆ペーパ─ドライバーだった女房だが、電車とバスでの荷物運びは大変であり、辻村入院中に練習し、いつの間にか運転するようになっている お陰で、辻村から藤田への転院の移動も楽に出来て、大いに助かる

◆手術の翌日には、導尿やオムツも取れて、左脚はギブスでちょっと動かし難くなるが、車椅子の移動は問題なく、今までと同じ入院生活に戻る

◆感染症予防の抗生剤の点滴が、日3回、9時、16時、22時にある 消灯が21時であり、寝付いた頃の点滴開始で、これは時間を変えて欲しいと頼むが、ル─ルと言うことで変えてくれない しかし、21時過ぎに消灯に来た次いでに点滴してくれる看護師もいて、患者への思いやりの違いを大いに感じる

◆再手術の翌週が最初の手術から8週後であり、先生に骨の状態を訪ねるが、まだくっつき具合は芳しくないようだ 先生は、"再手術の時骨を揺すったが、グラグラしなかった”と言い、どう解釈すればいいか迷うが、少しは良くなっていると思う事にする

◆9.14再手術の抜糸 くるぶし辺りの切傷は大きくただれていて、翌日、形成外科で診察を受ける ただれた肉片は不要で、切取る処置がされ、より傷口は大きくなり、心配事がまた一つ増える事になる

◆リハビリの担当は、最初入院していた時と同じ先生(ミナミ) ギブスがあるので、リハビリは筋トレと松葉杖が中心だが、松葉杖は、家て使う事は無いと思っているので、あまり乗り気がしない 筋トレはいつも彼女との力比べの様相になり、中々楽しい 彼女が支える腕を脚で払う、腕と脚なのに、中々払いきれなくて、普通の体格の女性なのに、凄い力持ちだと感嘆する

◆病室は4人部屋 4人集まれば平穏無事は稀な事で、いつも一人位はおかしな奴、自分勝手な奴と同室になるものだ 90歳の爺さん、”何処へやったかな” 等思ってる事を呟く癖があり、それを”うるさい ”と叱る奴がいる そのくせ自分はベットに転がり大声で電話する 爺さんの呟きよりも、余程かうるさく、一度30分程も電話しているので、”電話は外でしろよ”と言った事がある その場では止めたが、別の日にはまた平気で電話する困った物だが、同室になったのが不運と諦めて、我慢するしかない

◆藤田には、病院内にファミマがあり、食料等自由に調達出来る 糖尿の身では病院食しか許されないが、内緒の買出しが楽しみになる ゆで卵、バナナ、カレ─パンを3日に一度は買いに行く 女房が着替えを持ってくる日は、昼食は病院内のレストランで取る様になり、入院生活の食はかなり不謹慎になってしまう


☆9.30〜12.8 再度の辻村外科病院の入院生活

3階ベランダから 日の出
親しくなったおばさんのプログ、おばさん退院の朝
動画 入院生活の一日
ある週の病院食メニュー、ある日の病院食
辻村外科病院からの景色
動画 松葉杖の自主トレ
暇な時間の過ごし方
女房が来た時
動画 日の出・日の入
藤田医科大学病院 ギブス巻き直し、レストランにて昼食

◆9.30また辻村へ転院する 病室は前回と同じだが、窓際のベットとなり窓からベランダ越しに、洲原神社の森が見える その森から日の出が見れて、日の出鑑賞が楽しみの一つになる

◆骨は一向に固まってこない 期待した8週は何だったのか 10週、12週と過ぎても固まらず、不安と絶望に襲われるが、何とかギリギリの所で気持を切らさずにいる 中々固まらないのは、一番治り難い部位、粉砕した骨折、感染症になった、糖尿病、悪いのが重なっていると先生は言う

◆14週の頃、創外固定の提案がある 脚の中に入れるプレ─トと異なり、脚の外の固定装置から、骨にいくつもピンを打ち固定するもので、当然手術も必要となる あまりにも怖そうであり、このままギブスで骨が固定するまで待ちますと返事するが、年内に退院出来ないのでは? の不安が現実味を帯びて来る

◆先回入院時に親しくなったおばさん、まだいて嬉しくなる 読書する物静かな人、八百屋で働く陽気な人、要介護の大姑もいる家に嫁いた苦労人、沖縄の離島でダイビングする活動人、凄いプログを書く頭の良い人、ただのお喋り人、彼女は話す度に見方が変わったが、彼女のお陰で、落ち込みそうな気持を何とか持ち堪えれたと思う そんな彼女も10.27に退院してしまい寂しくなってしまう

◆スマホで動画を編集しYouTubeへアップする方法、色々調べ苦労したが何とか出来るようになる そこで入院生活の一日をビデオ撮りして、YouTubeへアップに挑戦する かなり苦戦したが、何とかアップすると、今までコメントは殆ど入る事が無かったのに、城巡りを見ていた人から、3件も励ましのコメントが入る これは嬉しかった、早く良くなり城巡りを再開したい気持でいっぱいになる

◆17週目の先生の受診、骨は一向にくっ付いて来ない ギブスにかかとを付ける提案あるが、骨折部位に負担がかかり危険でもあると言うので、危険は避けてこのままとする 単純骨折の腓骨側も良くならず、感染も疑いあるらしいが、血液検査ではその兆候は無く、よくは分からないそうだ 年内に良くなるのは、まず無理なようだし、このままくっ付かないのでは? 新たな不安が湧いて来て、気分は落ち込むばかりである

◆11月中旬、歩けるまで回復しなくても年末には退院して、正月は家で過ごそうと決心する 家では松葉杖の生活になるので、今まで気乗りしなかった松葉杖のリハビリだが、松葉杖メインのリハビリにしてもらい、松葉杖の自主トレも積極的に始める 家に手すり等の改修工事も必要になるので、介護保険の認定も始めるが、年末までに認定されて、工事が終わるのか心配であり、もっと早く申請すべきだったと悔やまれる

◆入院生活で大半を占める暇な時間を如何に過ごすか? これが一番重要な課題である 落ち込んでいる時には、何もする気になれないものだが、無理にも何かして気を紛らわさないと、沈んだまま立ち直れない 動く趣味しか無い自分だから、中々スカットと晴れないが、暇な時は上の写真掲示した内容で過ごしている 特にスマホで、アノおばさんのブログを見たり返信を書いたりや、写真や動画を撮ってネットに投稿している時が一番楽しい

◆辻村病院にはフリーWiFiが無いので、パソコン持込みは諦めていたが、ネットで調べていたら、スマホの電話回線を通じてパソコンをネットに繋げる(テザリング)ことが出来るのを知る 早速パソコンを持込み試してみると簡単り繋がった これで面倒なスマホの文字入力から解放されるが、もっと早く気付けばと悔やまれる パソコンのキイボードはある程度頭に入っていたが、4か月以上も操作していないと文字を探すことが度々で、スムーズに入力出来なくなっていた

◆11.30の先生の回診で、ギブスが続くなら年末には退院する、ギブスが取れて装具を作り歩く訓練が出来るなら年を越して入院を続ける、と運命を決める 結果は、ギブスが必要と言うことで退院を先生にお願いする 12.6に介護の認定確認があるのでそれ以降の退院を希望すると、話はとんとん拍子で進んで、早々に12.8退院が決定する 骨が良くなっている訳でも無いのに、長い入院生活から解放される嬉しさでワクワクしてしまう 介護認定がされる前に、歩行器・シャワー椅子・トイレの簡易手すり、も借りる事が出来るので、ギブスで松葉杖や歩行器の移動となるが、家での生活は問題無いと思う しかし、解放される反動で飲食を病院並みに抑制できるかはかなり厳しいと思われ、折角体重は90kg切りを達成したのに、直ぐに事故前の体重に戻ってしまいそうである

◆談話室の開錠は7:00であるが、最近は大幅に遅れていて、ベランダに出て日の出をビデオに撮りたいが出来ない 患者の声のポストがあるので、ルール通り7:00に開錠して欲しい旨を投稿すると、ちゃんと7:00に開錠されるようになり、この素早い対応には関心する 今日12.2は7時前に開いたので、早速ベランダに出て日の出のビデオ撮りする 日の入は外に出て撮る所が無いので、窓越しに撮るがガラスが汚くてキレイに取れず 今日は日の出と日の入のビデオをYouTubeにアップで、ちょっと忙しく過ごす

◆11.29、看護師のギブス防水のミスでシャワーを浴びたらギブスはびしょ濡れなる それなのに看護師は、湯をかけ過ぎたのでしょう、と酷いことを言うが、後で反省したのか何度も謝り始める ギブスの下は綿が詰まっていて、濡れると簡単に乾かないし、3カ月も洗っていない脚を包んでいたので、酷い悪臭が漂いとても気持ちが悪い 骨折の先生は、レントゲンの翌日どうだったと聞くと、”まだまだ全然”とつれない返事ばかりで、患者の気持ちが分からない人だと思っていたが、ギブスの巻替え頼むと、ギブスは濡れて交換する物では無いと言うので、私が諦めますと言っても、考え込んでいて、12.3に藤田へ来れるなら交換しましょうと言ってくれる それを聞いて、まあ何と患者思いの優しい先生なんだろ、と一転先生の思いが変わり一気に好きになってしまう 4日間気持ち悪いギブスを我慢するが、12.3は、ギブスはしっかり脚を洗ってから巻き直してくれて、退院間際にスッキリしたギブスとなり不幸中の幸いとなる 藤田に入院している時から、院内のレストランの大エビフライ定食を食べたかったが叶わないでいたが、12.3念願の大エビフライ定食を満喫する事が出来た

◆11月下旬、ギブスのままでも退院すると決めた時には、松葉杖や歩行器で移動出来るので、家での生活は問題ない、楽しいこともいっぱい出来そう、と言う事でウキウキしていたが、退院が間近になると色々不安を覚えるようになる 家の中は移動出来ても、持ち運びは凄く限定される、外に出ても松葉杖でいられるのは10分程で、その時座る所がないと思うとかなり辛い、等々 病院なら諦め着くが、家で自由に動けないのはイラつきの基になりそうだ しかし退院は自分が決めた事、なるようになるしかないが、より良くなるようにするしかない くしくも12.8の退院は、骨折してから丁度5カ月である しかし、5カ月も骨がくっついて来ないとは、本当に治るんだろうか? 心配になって来る


☆12.8〜 退院、家での骨折生活

藤田医科大学病院と辻村病院の診断書
2021.12.8 退院日の一日
動画 退院後2日目 洲原公園
動画 退院後3日目 ハイウェイオアシス
動画 退院後4日目 デンハーグ
2021.12.14 骨粗しょう症のフォルテオ注射開始
動画 2021.12.14トヨタ博物館、長久手古戦場・岩崎城へ
血圧、血糖値、体重、等の健康データ
年末に娘が持って来る
動画 2022.1.2近所の神社へ初詣
介護サービス支援計画書
動画 2022.1.22伊良湖岬ドライブ
2022.2.8 ギブスが取れた日
動画 2022.2.20オンライン料理教室で鯛料理
動画 2022.2.21装具が出来た日
動画 2022.2.28名古屋農業センター・岡崎南公園 梅見散策
動画 2022.3.11久しぶりの城址巡り・桑名城址
動画 2022.3.25鈴鹿市の森庭園と神戸城跡の散策
2022.3.27洲原公園 桜まつり
動画 2022.3.28岡崎公園 花見
動画 2022.3.29亀城公園・安祥城址公園 散策
動画 2022.4.4洲原公園花見のち桶狭間の戦い史跡巡り
動画 2022.4.12豊橋の動物園と吉田城址へ
動画 2022.4.22浜松フラワーパークと浜松城へ
動画 2022.4.30長篠城と設楽原の戦い
動画 2022.5.4安城と西尾の城址を巡る
2022.5.8 八つ橋・無量寿寺のかきつばた、他
2022.4月後半 装具付けずに立つ・歩行器で歩く、足は曲がっていない?
動画 2022.5.15掛川城と横須賀城を訪城
動画 2022.5.20可児市にあるバラ園と明智城址へ行く
動画 2022.5.31知立・碧南・岡崎の菖蒲園巡り
動画 2022.6.3形原温泉あじさいの里
2022.6.7やっと骨がくっつく
動画 2022.6.18可睡ゆりの園

◆晴れて退院ではないが、予定通り12.8退院する 帰りに辻村の近くにあるスーパー・ピアゴで昼食の寿司と普段は飲んでいない日本酒を買って、5か月ぶりに家へ帰る 介護認定前だが、包括支援センターとフランスペットの人が、介護用品を届けてくれて大変助かる 車椅子は主治医の意見書で必要とされないと借りれないが、先行して持って来てくれて嬉しい限りである 車椅子があれば、物を持って移動出来るので、大抵の事は一人で出来ることになる シャワー椅子はレンタルでなく買取となるが、車椅子・トイレの簡易手すり・歩行器はレンタルで、介護認定が下りれば2割負担で月2000円で済む ギブスのままの退院でかなり不安だったが、介護用品も揃い、車の運転も問題なく出来たし、松葉杖の階段の上り下りもスムーズ出来るようになったし、等で家での生活の不安も解消し大いに楽しめそうである

◆12.14、外来のハヤカワ先生の受診で辻村病院へ 混むのが嫌で8時半に病院へ行くが、先生は藤田に寄ってからこちらに来るので、受診は10時になる 受診前に撮ったレントゲンを見て、まだ加重はかけれないと言う事でギブスは取れず 入院時に話は聞いていたが、骨粗しょう症の薬のフォルテオ注射を今日から打つことになる 骨粗しょう症の薬は、骨がもろくなるのを防ぐ守りのものが一般的のようだが、フォルテオは骨をつくる攻めの薬であり、大いに期待するところである フォルテオは、インシュリンと同様自分で打つ注射で、注射針もインシュリンと同じであり、これなら苦なしに続けられる 打つに当たって、持運びバックやガイドやチャックシートやDVDまで、色んな付属品がついて来たのには驚きである 今度の外来の予約は、1か月後の1.11であり、それまではギブスは取れることは無いが、1.11にはフォルテオが効いてギブスが取れ、歩く訓練が出来るようになるのを祈るばかりである

◆12.15介護認定の結果”支援2”の連絡が届く 役所からは1/5に結果が出ると事前連絡があったのに、凄く早い決定連絡に驚くが、これで介護用品は2割負担でレンタルや購入が出来るので一安心である 介護認定がされると、リハビリは医療保険の外来が出来なくなり、通所リハビリに代るが、包括支援センターの素早い動きで、来年1月中旬から、週2回(水・木曜の午前)の通所リハビリの日程も決まる 介護に関する対処は、12.6の認定調査からとんとん拍子に進み、こんなにスムーズに決まるとは思っていなかったので、関係者の対応に感謝したい

◆退院時から日々の血圧、血糖値、体重の記録をつけるが、案の定、数値は上昇している 入院時は120〜130程度で安定していた朝一の血糖値は、最近では200越えが続いていて、クリスマスの今日は231だったし、体重も88キロ台となっていたのが、91キロ越えになってしまった 病院食とまではいかないが、結構控えているつもりだが、やはり食べる量が多いのだろう この先は年末年始で御馳走の機会は多くなるので、血糖値や体重を抑えるのはかなり厳しい感じがするが、これじゃいかんだろう 12.22の藤田の外来では、約10年ぶりにヘモグロビンa1cの値が7.0を切ってとても感動したばかりであり、もう一度厳しく自制をしないと、直ぐに入院前の状態に戻ってしまいそうだ

◆正月元旦は風が強く寒い日で家で縮まっていたが、正月2日は穏やかな好天になる 洲原神社は境内まで車で入れて、混雑もなさそうなので初詣に出かける 着いた時は参拝者は誰もいなくて驚くが、その後一気に何台も車が入って来た 1.11が外来受診日でギブスが取れる事をお願いする 洲原神社ではご利益も薄いと思い、格式が高い知立神社へも行こうとするが、一号線から先は渋滞で全然進まなくて諦める 帰る途中、中田町に裸祭りが行われる八幡社があるので、ここにも立ち寄りギブス取りを祈願する やはり地元の氏神様にも詣でなければと思い、花園八幡宮にも参拝し、思わずの初詣巡りとなってしまう 3社に祈願したので、何処かの神様が、1.11の受診でギブス取りを叶えてくれるのを祈るばかりである

◆1.11は今年最初の外来診察日 前回から4週間後で骨折から6カ月経過の診察で、少しは骨がくっつきギブスが取れるのを期待したがダメだった レントゲン写真を見ると、折れた部分の黒い影が白くなって来て良くなっているように見えたが、先生の言葉は ”悪くはなっていない” であり、良くなっているの言葉は聞けなかった つい先生に、少しは良くなっていると言って、と懇願してしまい苦笑される まだ最低でも1カ月はギブスは必要と言う事で、次回の診察日は4週間後になる 期待から殆ど取れると思い込んでいたので、この先まだ4週間ギブス生活は辛くて気持ちも落ち込むが、どおしようもなく耐え忍ぶしかない

◆介護保険が認定されると、医療保険の外来リハビリから通所リハビリに変る 介護保険の使用は、ケアマネジャーが介護支援計画を作り、介護事業者と契約書を交わす、面倒な手続きが必要となる 1.17に3者で面談して、介護支援計画と契約書を確認・サインして通所リハビリが成立し、1.19から週2回の通所リハビリが始まる 入院や外来リハビリはマンツーマン対応だったが、通所リハビリは5人の患者を2人のリハビリ士で面倒見るようで、80分のリハビリ時間のうち60分程は自主トレとなり結構辛い

◆1.22左足が不安だが思い切って伊良湖岬への長距離ドライブに出かける ワンパターンの家の生活を変えたい思いからであるが、あちらこちらを巡り、素晴らしい景色を眺め、旨い物を食べて、とても楽しい一時を過ごす事が出来た 左足が使えなくても、長距離の運転に全然問題は無かったが、現地に着いてからの車椅子や松葉杖の移動は、とても大変でもどかしく、早く二本足で歩けるようになりたいとつくづく思う

◆2.8は外来受診日、もうギブスは耐えられない思いで受診する 先生の”良くなって来ている”の言葉は聞けなかったが、ギブスは取って装具を作ることになる 骨折から丁度7カ月、今まで何度もギブスが取れずに落ち込んで来たが、やっと念願が叶うが、骨が良くなって取れた訳で無いので喜びは今一 装具作りは先生の都合もあって、2.14に藤田で装具の型取りであり、出来上がるのは2月末頃となりそうで、歩くリハビリはまだ先になる 今までシャワーは浴びれていたが、今日は7カ月ぶりに湯船に浸かる風呂に入れて、とても気持ち良い一時を過ごし、晩御飯は小祝いで、刺身と鳥焼きの小御馳走で美味しくビールを飲む

◆骨折とは全然関係ないが、ひまわりネットでオンライン料理教室の募集があり、食材がタダで貰えるのと、コロナ渦でオンライン何々が常識化しており、どんなものか体験したく申し込むと大当たり 届いた食材は、お米屋や調味料まですべてが揃っているし、おまけに立派な盛皿まで付いていてる オンライン接続を心配したが、届いたURLをクリックするだけで簡単にオンライン教室に参加出来た 一流シェフ?と思われる講師は、中々ひょうきんなオヤジで、楽しく料理教室を見る事が出来た 出来上がった料理は、見た目は綺麗だし、和風の上品な味で中々美味かった

◆2.14の外来診察で装具の型取りを行い、一週間後の2.21装具が出来上がる 骨折してから7カ月半、この日を待ち続けて来たがやっと来た 両足で立てて歩く訓練も出来るようになり、骨折からの復興の第一歩である 装具が出来たらガンガン歩き、一刻も早く普通に歩けるようになろうと思って来たが、程度が良く分からないが、先生からはまだあまり動かないようにと言われる 骨がくっつき装具で歩く訓練は大丈夫と言う訳でなく、私がギブスを嫌がっているので、先生は苦渋の選択をしてくれたようだ 装具で30%加重の負荷となるが、7か月半ぶりに、両足で立ちヨチヨチだが歩けて、感無量の気持ちになった

◆装具が出来て一週間、両足で立ったり、松葉杖が必要だが骨折した左足をついて歩けるようになり、名古屋農業センターの枝垂れ梅を見に出かける 歩くつもりだったが、農業センターには自由に使える車椅子があったので、車椅子の移動となってしまう この時期は見事な枝垂れ梅が見れる筈なのに、今年はまだ全然咲いていなかった 岡崎南公園も梅まつり中であり行って見る 南公園の梅林は、ピンクと白の梅が咲き誇っていて楽しめたが、梅より何十年ぶりかの観覧車に乗れたのが楽しかった 南公園では、1km以上は歩いたと思い、これはこれから何処かへ出かける、大きな自信になると思う

◆3.8は骨折して丁度8カ月、そして今日は外来診察日 何が何でももうそろそろ骨はくっつき始めて、骨折した左足にも加重をかけて歩けるようになるのでは? 大いに期待しての受診で、先生とレントゲン写真を見るが、今までとあまり代り映えしないように見える それでも”少しは良くなって来ていない?”と聞くが、良くなって来ていると言う返事は聞けなかった どの程度加重をかけて良いのか分からず聞くと、先生は私が動きたがっていると勘違いしているのか、”何度も言っているがあまり動かすと骨折部は曲がるし、腓骨側のプレートも折れる”と凄い勢いで脅かされる 8カ月経っても骨の回復の兆しが見えないし、左足の加重もかけれず、自分の骨はどうなっているんだろうと、期待したのは逆で気持ちは大いに落ち込む辛い日となってしまう

◆3.11今日は晴天の春爛漫の陽気 松葉杖で歩くのは大変だが思い切って久しぶりに城巡りに出かける 先日オアシスで桑名市の九華公園のパンフレットを見て、桑名城なら平城で少しは歩けそうと思い、桑名城と近くの長嶋城を巡る 先日、先生からは装具を付けてもあまり歩かない方が良いと言われており、今日は結構歩き回ってちょっと足も痛くなって来て心配になったが、ウキウキする春の陽気の日は外へ出かけたいと思う 桑名はハマグリの名産地でハマグリ焼きを食べるのも目的の一つだったが、ハマグリ焼きの店を見つけれず食べれなかったのが残念だった

◆3.25装具が出来て一カ月、松葉杖が必要だが、左足もついて少し歩けるようになって来た ニュースで鈴鹿市に枝垂れ梅の名所があるのを知り、ボカボカ陽気に誘われて梅見散策へ出かける 名所は森庭園と言う所で、本日が梅まつりの最終日で、凄い枝垂れ梅がいっぱいあるが花は殆ど散ってしまっていた 満開時は凄い絶景が楽しめる所だと思い散策するが、その思いだけでも十分楽しめた 先日行った桑名城に神戸城の天守が移築されていたが、その神戸城跡が鈴鹿市にあるのでちょっと立ち寄る 今日は思った以上に歩けて嬉しくなるが、骨がくっつき骨折が回復して来ている訳で無いので、素直に喜べないのが残念だ

◆3.27−29の3日続けて花見に出かけてしまう 先生からはあまり歩かない方が良いと言われているが、桜も咲き天気も良いと外へ出かけたくなってしまう スマホの歩数計は、27日は1100歩、28日は7300歩、29日は9400歩、となっていて、松葉杖でここまで歩けたのは自分でも驚きである 以前は少し歩くとくるぶし辺りが痛くなっていたが、最近は歩いても痛みがほとんど無いので歩き回ってしまう 今度の外来診察は4.5であり、今度こそは骨がくっついて来ているのを期待したい

◆4.5外来診察日 今度こそは少しはくっついていて、装具なしでも負荷をかけれるようになっている期待と、ダメだったらもう耐えれない不安が、入り混じる中で受診する 今までの様に、”どお、良くなって来ているでしょう?”と自分から聞かないでおこうと臨むが、先生の方から、”装具の負荷は50%にします”と言ってくれる これは骨が良くなって来ていると思い聞くが、いつもの悪くはなっていないと言う返事で、気持ちは釈然としないが、先週は花見等でかなり歩き回ったし、昨日も桶狭間の戦いの史跡巡りで、8000歩もあるいている それでも異常は出ずに悪くなっていないのは、何か嬉しい気持ちになる 装具の負荷50%は、足に架かる加重の半分は装具で受けて半分は骨折した足で受ける、と言う事と思えるが、先生は装具なしで加重かけてはダメと言う どうなっているんだろう? 本当は先生に聞きたかったが、聞くとまた恐ろしいことを言われそうで、聞けずに今日の外来診察は終わる 次回はG.W.もあり8週間後となるので、この先2カ月も足に加重をかけれない生活が続くことになるのが、とても辛いし残念である

◆5.8は骨折してからちょうど10カ月 装具を付ければ結構歩けるので、GWは近場の城址巡り等に出かけたが、装具無しで加重をかけれないのが何とももどかしい 骨折した足は未だに固まっていて、足裏から甲に何かに締め付けられている違和感がずっとあり、これは足に負荷を掛けていないから治らないのだと思える 先生の言いつけに背いて、4月後半からは両足で立つことを始め、5月からは家の中の移動は、歩行器を使って骨折の左足もついて歩くことを始めてしまっている 先生の、加重をかけると足が曲がったりプレートが折れる事もある、の言葉に凄く不安があるが、痛みが無いので加重をかけたい気持ちの方が強くなってしまう 次の外来受診はまだ一カ月程も先なので先生に確認なしに、歩行器を使わずに歩き始めてしまいそうだ → 案の定、5.13より家の中は歩行器なしで歩き始める

◆6.7は2カ月ぶりの外来診察日 何が何でももう少しは良くなっていると思うが、またダメだったらどうしようと言う思いも強く、何とも複雑な気持ちで受診する 今まで期待してはダメで、そのつど落ち込むのが続いていたが、今日は骨折してちょっど11カ月、もし今日ダメだったら落ち込むと言うよりも、もうオレの骨はくっつくことが無いんだ、と絶望的な思いになること間違いなしだった 入院時、100歳の老人でも骨折した骨はくっつくと慰めて貰ったことがあるが、オレの骨はくっつかないんだ、と思うのは耐えられない程つらいことだ そんな思いで受診すると、先生から”装具の負荷を80%にしましょう、装具は6月中は付けて、7月から無しでいいでしょう”と言われて、初めて先生から”骨は良くなって来ている”と言う言葉を聞けた 思わず先生の肩をポッと叩いて”やったね!”と叫んでしまい、先生に苦笑されてしまう 長かったトンネルもやっと出口が見え、来月には装具無しで歩けるようになり、出口に到達することになる 嬉しくて嬉しくて、診察の帰りには、刺身とうなぎとメロンとおはぎを買って帰り、今晩飯は御馳走で祝杯する

☆2022.7.5 完治とする  このページはこれで終了です



■7.5の診察で装具無しで歩くのOKとなり、骨折してから丁度一年、やっと骨折は完治したことにする しかし、まだ骨は弱く転んだら剥がれる恐れがあると言う事で、7月中は装具の中敷きは付けていることになる 中敷きは高さが膝まであり膝を曲げ難いので、膝下までに切って貰えて、付けていても歩くのに苦にならなくなる 本来なら骨折完治で跳び上がりたい程嬉しいのだが、気持ちは今一晴れない 先週冠動脈CTの検査を行いその結果を聞くが、冠動脈3本ともあちこち狭くなっており、来週2泊3日の入院で、血液の流れを調べるカテーテル検査をする事になってしまう カテーテル検査の結果では、バイパス手術もありと先生から聞かされて大ショックを受けている CT検査結果を聞いた日から、少しでも血流が良くなるようにと晩酌の焼酎は控えており、カテーテル検査の結果が、バイパス手術はもっての外で、様子見で済むように、と祈るばかりである それでもやはり完治のケジメとして、今日は御馳走で祝杯をあげました